伴走支援されたHさんを振り返って

Hさんと初めて会ったは、おそらく17年の夏頃だったと思う。当時、私は、担当していた仕事の閉塞感などから、新しい事がしたい、と考えるようになり、たまたま社内のイベントで知り合ったYさんの紹介で、東京支社で打ち合わせることになった。

「ああ、君が宇宙をやりたいって行っている人ね」みたいな事を言われたと思う。ちょうどそのころ、社内でも新事業コンテストをやるような話があり、その年の秋頃に選考があった。

17年は私にとっては厄年で、自転車で転倒して左腕を打った後に車に轢かれ、左足も骨折するという有様で、ちょうど車で轢かれた翌日に連絡をとってくれた隣の職場のメンバーと三人で、そのコンテストに応募。しばらくして一次選考を通過したという連絡があった。

2次選考に向けての説明会で、Hさんと再会した。「これはどういうチームなのか」と行ったことを言われた。3人は5歳づつ年齢が離れている割には、年齢不詳の風格。その新規事業コンテストの事務局をするとのことでした。

しかしながら、ご多分にも漏れず保守的な会社風土の中、運営には結構な苦労を伴っていたと聞く。私たちも年明けの最終選考では(当時としては比較的とがっていた提案をしたため)事業部の引き取り手がみつからず、選考は通過せず。有志の活動として、細々と継続することになった。

その後もHさんとは、塩尻のイベントなどでご一緒することがあり(フィールドワークでバスで出かけたのにもかかわらず、ラーメン屋に突入したのは今でも記憶にあり)いくつかの新規事業関係のイベントで接点を持つことがあった。そんなわけで、私たちの活動の中で、Hさんはほどよい距離感で伴走支援をしていただき、本当に感謝です。

2020年、ひょんな事から、私たちの活動を副社長の目にとまり、また、広報部からも共感してくれる仲間ができ、晴れて我々の活動を会社のWebページで社外発信していただけるようになり、活動にも勢いがついてきました。また、社外からも起業・支援のお誘いもあり、社内有志活動と、社外スタートアップの両輪で活動するというかたちで多忙ななかで、Hさんの退職の話しを人づてに聞きました。

私たち同様に、実現したい世界観の実現のために、スタートアップに身を移しての活躍をめざすとのことで、一抹の寂しさを感じました。一方でコロナ禍で会社の垣根が溶けつつある中、さほどのお別れ感もなく、淡い喪失感と期待の不思議な感情を今は持っています。

ともあれ、ずっと伴走していただいた遺志を継ぎ、会社の既存事業に針先ほどの穴を開けて新規事業を通すことを目指し、Hさんに負けないように私たちも努力していきたいと感じました。

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