
『KEEP “GO-ON!”』-ずっと君と-③
突然デビューしたわけちゃうで!笑
超遅咲き!34歳デビューなりの紆余曲折があったのでございます。
高校の学園祭のど自慢で優勝して、山形市内の女子校中で歌ってチヤホヤされた事を心の礎にしてしまった高橋少年は
「オレにはこれしかない…♡」
とロックスターになることを決意。
東京に行けば自動的にロックスターへの階段が開ける、という根拠のない発想の下、東京の大学に進学するため受験。一浪の末、某私立大学に合格するも、なぜかその校舎は埼玉県熊谷市の広大な森林の中!
痛恨の確認ミス💦
でもいーの。
おかげで周りに何にもない環境で軽音楽部で音楽とゲームに打ち込めたから!(初期バイオハザード48時間耐久プレイは伝説!)
軽音楽部ってボーカルが足りないんです!
速弾き見せたいギタリスト!
デカい音出したいドラマー!
音楽通のベーシスト!
組まれたバンド数に比べてボーカルが少ないから引っ張りだこ!
J-Pop、ロック、ヘビメタからファンクにパンクまで!
頭がパンクしそうなくらい、色んなジャンルのボーカルスタイルで歌いました。
それが将来の職業になるなんてこの時は思いもしないよね!
24歳、大学4年生。
周りは就職内定が出て余裕かましてるヤツ。企業の面接に追われてリクルートスーツのお尻に火がついてるヤツ。キャンパスは慌ただしい様子。
僕はといえば、就職課へ情報を見には行くけどその足取りは重い。
オンガクガヤリタイ
でも次にすべき事がない。もっと音楽を勉強したくても先立つものもない。
時間だけが過ぎていく。
就職の面接会場の入口で立派な看板だけを見て帰ってくる日が続きました。
そんなある日。
父が亡くなりました。もう離婚して4年が経っていました。
僕が幼稚園の時からずっと単身赴任で、会うのも年に数日。父との思い出もあまりありませんでした。帰ってきても母とは諍いが絶えなかったので、父が家に来る日は僕にとっては気が重い日。
だから亡くなってもそんなに喪失感はありませんでした。
亡くなる数ヶ月前に、病床に伏せっている父の所にお見舞いに行きました。
父は元々体格も良く運動神経も抜群で、NHK福井のアナウンサー時代には“北陸のあんころ餅”とか言われていて、その当時ガリガリの大学生だった僕とは親子と思えない程の恰幅の良さでした。
でも何年かぶりに会ったその病床でのげっそり痩せこけた顔は僕にそっくり。体をベッドと一体化したまま消え入るような声で父は一つだけ聞きました。
「将来何やりたいんだ。」
「音楽やりたいんだ。」僕は答えました。
「そうか。がんばれよ。」とだけ父。
父が亡くなって数ヶ月後の冬。父の相続金が分与されました。
僕はそのお金で春から音楽の専門学校に行くことができました。
父が行かせてくれたんですね!
懐かない、かわいい息子じゃなくて本当にごめんね。
今、お父さんのおかげで音楽できてるよ!
本当にありがとう!
俺もお父さんみたく
たくさんの人にメッセージを伝えていくよ!