
『KEEP “GO-ON!”』-ずっと君と-④ こぼれ落ちる譜面
父が遺してくれた相続金で、2年間専門学校で音楽の知識と経験を深める事ができました。
ボーカルと作曲を学んだのですが、ボーカルの先生がなんと、仮面ライダークウガのエンディングテーマ『青空になる』のシンガー橋本仁さん!まだ『青空になる』を歌われる前でしたね。
僕が『炎神戦隊ゴーオンジャー』でデビューした後にご報告をした時は、同じ東映特撮の主題歌シンガーとしてとても喜んでくれました!
仁さんの指導が今の僕の歌の礎の一つになっている事は間違いありません!
仁さんメインボーカルのバンド「Earth Wind & Fighters」よく見に行きましたね!洋楽のR&Bディスコバンド、Earth, Wind & Fireのコピバン!カッコもキラッキラの完コピ!✨
日本人では仁さんしか着れない衣装でした!(笑)
人を楽しませるのには全力を!という教えを授かりました!w
光陰矢の如し!たくさんの知識、たくさんの音楽仲間という財産を得て、2年の専門学校が終わりを告げました。
ぶっちゃけ"音楽仲間""繋がり"ができた事が専門学校で過ごした一番の収穫!いまだに一緒に音楽の仕事してるしね!
やっぱり「持つべきものは仲間」ですョ。
専門学校を卒業した僕は26歳。
世間が言うデビューの適齢期としてはそろそろボーダーラインに差し掛かっていました。
日々の生活費をパチンコ屋さんのアルバイトで賄って睡眠時間を削って音楽を作り、プロデビューの応募の記事を見つけてはデモテープを送る日々。
女性ボーカル立ててユニットを組んだり、色々やりました。
いつもの様にパチンコ屋さんのアルバイトで玉の上げ下ろしや台の点検に費やす日々。そんな中事件は起きました。
「ご来店ありがとうございましたー!ペコリ。
…っ!?」
ドカンッ!💥
いつもの様にお辞儀をした瞬間、腰から爆発音と共に走る激痛っ!
そしてお辞儀をした、くの字のまま動けなくなり救急車でそのまま運ばれました。
腰部椎間板ヘルニア。
約1年間くらい自宅で寝たきりになってしまいました。
寝返りを打つのにも一苦労。トイレに行くのも数十分かけてゆっくり。
くしゃみするのにも命懸け!(くしゃみって実はめっちゃ腰使ってるんですよ!)
何より自分に残された大事な時期に何もできず、ただアルバイトで貯めた貯金を、1人孤独な部屋で横になって食い潰すだけの日々が若い僕には歯痒くて辛かったですね。
腰の様子を見ながらの音楽活動は思うように進まず過ぎるだけの時間。
”音楽活動がうまくいかないのは腰だけのせいじゃない”
そう気づいていたのは他ならぬ自分だったのかもしれません。
気がつけば28歳になっていました。
そんなヘルニアとも何とか共存でき始めたある日。
大学時代の軽音楽部の1年先輩から1本の電話が久しぶりにかかってきた。
「ひで最近何やってんの~?暇してるならウチでバイトしない?」
聞けば、携帯電話の着メロの制作作業。2002年くらい。
あの当時は猫も杓子も自分の好きな曲を着信のメロディーにしてましたよね!今では考えられないようなレトロゲームみたいな16ビットの音!あれも誰かが原曲を聴いてコピーしてたった16個の音だけで再現していたわけです。そのお仕事をしてみないか、というお誘いでした。
音楽の仕事に貴賎なし!
僕は飛びつくようにそのバイトをさせてもらうようにお願いしました。
アルバイトから程なく社員に。
僕はサラリーマンになる事を決心しました。
山形を出てずっと抱いてた夢。
ロックスターの夢に僕はそっと蓋を閉じたのでした。