アムステルダム スキポール空港 物語
忘れもしない 2001年9月10日、スペイン バルセロナ から帰国する。途中のトランジットはオランダ アムステルダム スキポール空港。今回の物語の舞台となる。
プロローグ
スキポール空港はヨーロッパではパリのシャルルドゴール空港の次に広い空港。例として、実際は無いだろうがもし一番離れた飛行機に移動となるとここからここまでの直線距離でも1.36Kmある。歩く距離は2Kmを超えるだろう。
スキポール空港
パリやミラノをベースに年に数回定期的に出張をするようになったのだけれども、まだ海外に飢えていてハングリーな頃(まぁ今でもだけど)一度は行きたかったNYにも行って、その次に行きたかったバルセロナへ行った時の帰り。
今はJALでは使われていないスキポール空港でのトランジットはこの時が最初で最後。でも一生忘れられない思い出に満ちている。別に空港が悪いわけではないのだが F*** スキポール という名前をつけられていた時代もあるほどのインパクトがあった。
当時は資金に余裕がなくて(まぁ今でもだけど)現金はなるべく持っていたい。カードで買った商品の支払い期日までに現金を作らなければならない。何点か買ったプライベートの高額のものは条件が合えば払った税金の一部が返ってくる。それをTAXフリーとかディタックスとか言って12%程安く買えた事になるので、かなり重宝している。
通常はヨーロッパ最後の出国空港にある税関で書類にスタンプを押してもらって、会社へ送れば数週間後に日本円で振り込まれる。または、現地で現金でもらう事も出来る。この時は、振り込みまでの期間を節約しなければならないほど切羽詰まっていた(まぁ今でもだけど)。理由は忘れたが、バルセロナの空港でスタンプだけもらって書類は持っていた。時間がなかったのか、ポストが無かったのか、日本円の現金をもらうつもりだったのかは今となっては分からないのだけど。
トランジットの空港は大きいのでTAX FREEの事務所もあるだろうから、乗り継ぎ途中にそこへ行けば現金を入手できるかもしれないというアイディアが出てきた。覚えていないけれど2時間ぐらいの余裕はあったはず・・ でも、あまり余裕もないので私が妻の分も含めて走って換金することになった。現金をもらうにはパスポートも必要なので妻の分も持って2人分のパスポートと2人分のTAXフリーの書類を持って初めてのスキポール空港に飛び出した。今だったら本人でないと貰えなのは知っているのだが・・
(更に、今年から発見したのは書類が揃っていれば本人でなくてももらえる。これはQRコードが発達して買ったお店でオンライン登録してあるから)
当時はまだ下手な英語で(まぁ今でもだけど)Where is TAX FREE office? などと聞いてみると、一度パスポートコントールの外へ出ないと無いらしい。今ではシェンゲン協定国内ならパスポート無しで自由に出入り出来るようになったのだけど、当時はダメだったらしい。今思えば初めてオランダの土を踏んだのはあの時だったのね。
またパスポートを見せれば中に入れるのを確認してから外に出て、TAXフリーのオフィスを探したが、現金を入手出来たかどうかはもう覚えてない。多分日本円は無くて現金は入手できなかったような思い出がある。
オランダの地を踏んでからパスポートコントロールを再度通って中へ入る。出発GATEのJAL搭乗口に行っても妻はまだ来ていない。途中のお店でのんびり買い物をしているに違いない。
しかし、間もなく搭乗という時になっても来ないので少し不安がよぎる。当時は海外の携帯は持ってないので連絡は出来ない。時間を忘れているんじゃないのか・・ 時計が止まっているのに気が付かないのではないか・・ ぶっ倒れているんじゃないのか・・ 不安は残り時間に反比例して大きくなる。
一瞬、館内放送で Mr.TAKAO と言ったように聞こえた! やばいぞ何か起きたか・・ information まで行って、TAKAOですけど呼びましたか? と聞いたら調べてくれて Mr.Cacao はリストに載っていますが、Mr.Takao は呼んでませんよ・・との事。ティスプレーを見るとCacaoになっている。そうだよな・・と思い搭乗口に再度戻るともう搭乗が始まっている。そうか、入れ違いで既に乗ってるのかもしれないと、受付に聞くと・・・
受付のスタッフの表情が硬くなったように見える・・ 「奥様がパスポートコントロールの所でパスポートが無くてこちらに入れないそうです、すぐ**ゲートへ行ってください」
0.5秒後、私が妻のパスポートを持ってるのに気が付く。私は一度外に出たので入る時にパスポートが必要なのは分かるけれども、トランジットでも必要なのか!! を1秒で理解する。
**ゲートの方向を聞いて 全速力の80%位の力を出して走る! スタッフの人も付いてきてくれる。プロローグにあるようここは超広い。**ゲートまでイメージとして800m位ある。途中まで全速力で付いてきてくれたスタッフの彼女はあっちですと指差して息途絶えて私1人で走る。
**ゲートでは、口をあけて餌を待っている雛鳥のように、妻が待っているのが見えた。リレーの選手のようにパスポートを渡して待っているとすぐに入って来た。言い訳も理由も話す余裕なく出発ゲートまで2人でまた800m走る。
冷房は入っているとはいえ夏に1600m走ると(実際の距離はもっと短いのかもしれないがそれ位に感じるのだ)汗だらけになる。間に合うのか? 未だかつて自分の都合で飛行機に乗り遅れた事はない(まぁ今でもだけど)。搭乗口に着くと乗客は誰もいない・・・ 間に合わなかったか! ・・と思ったが、ドアは閉まってないので間に合ったのだけど、もしかしたら出発を遅れさせたかもしれないという自責の念に囚われる。
もちろん最後に乗り込む乗客となり、私は大雨に降られたようにびっしょりで機内に入る。人々の目も冷たいように感じる。幸いな事に少ししてからドアは閉まった。隣の乗客に、最後の人を待ってますとかのアナウンスありましたか? と聞いたらそれはなかった模様・・・ ちょっと自責を解除する事にする。
エピローグ1
館内放送してもらうのを依頼するのに、のんびりしていてなかなかやってくれないので 「あと20分で出発予定なんです!」 ・・と言ったら焦ってすぐ放送してくれたのは良いけれど タカオと言ったのにカカオで呼んでしまった模様。今では乗り継ぎにパスポートは不要なのかもしれないが当時は必要だった。それから、パスポートは各自肌身離さず持っているようになった。
エピローグ2
スキポールから成田へのJALは次の日に無事到着。この日の夕方には出かける用があったので出かけていた(元気なのね)・・・ 妻から電話があって、世の中で大事件が起きているという、すぐTVを見ろと。
センターマネージャーの部屋にTVがあるので入れてもらってTVをつけると、どのチャンネルからもNYのビルが火事になっているのを放送している。黒い煙がもくもくと出ている。あそこは半年前に行ったツインタワーだ。どちらかのビルにこの会社の支店があるんだよな・・大丈夫かなと安易に見ていたのだけど、見ているとどうも飛行機がビルに衝突してしまったようだ。
当時はテロという単語が今ほどポピュラーでばなかったのでテロだとは思わず、初め飛行機事故だと思っていたが、もう1機もう一つのビルに突っ込んでからは偶然ではないのが分かった。
そう、911事件の当日にバルセロナから帰国したのだった。テロの8時間前に成田に着いていたのだが、次の日だったら大影響があったに違いない。
スキポール空港は悪くはないのだけど、F***スキポール と呼ばれている程の印象深い思い出がある。