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挨拶は最強の投資 社会関係資本と健康の両輪に効く差別化アクション #272

挨拶をする必要などないという主張が盛り上がっていたので、私の意見を述べたいと思います。


するしないは自由だが、「したい」

するしないは自由だと思うのですが、私はそもそも挨拶を「したい」。更に言うと、名前を呼んで挨拶できる良い人間関係を築きたいと思っています。

それはなぜか。身も蓋もないですが、そうしたほうがオトクだからです。幸せになれるからです。

挨拶を積み重ねることは、社会関係資本を積み上げることにつながります。

さらに、元気にハキハキと挨拶すると健康になります。みなさんも実感値があると思いますが、心身のコンディションが悪いときに良い挨拶などできません。

あらゆるキャリアの研究は、社会資本の厚みこそが重要であり、さらに個人の心身の健康はキャリアの基盤であるという極めて単純なことを指摘しています。

人間の脳の作用をハックした健康になるメカニズム

脳科学の研究では、意思から行為が生まれるのではなく、行為を後追いして意思が生まれているという常識とは異なる結果が生まれています。

ですので、元気にハキハキとした挨拶をしておくと、なぜ挨拶をしているんだろう、そうだ、私は調子が良いのだ!と錯覚して元気になってくるというメカニズムがあります。

元気に挨拶をするために、胸を張り姿勢をよくすることになり、肺活量も増えるため、脳に酸素が届きやすくなるという身体的な変化も起きています。

このようなメカニズムで、シンプルに健康にはプラスになる行動だといえます。

毎日元気に挨拶して仕事を始めている人と、憂鬱で暗くて、挨拶されても無視している精神状態の人とでは、心身の健康状態は明確に異なると思います。

さらに健康面だけでなく、キャリアデザインの最重要事項である、社会関係資本の構築にも密接に結びつきます。

キャリア形成における社会関係資本の重要性

キャリアの原理は時間資本を人的資本に変えていき、さらに社会関係資本を豊かにしていくゲームだと指摘されています。

そして、多くの人が関心を持つ金融資本は社会関心資本の豊かさで規定されます。

身も蓋もないですが、どんな人たちとの豊かな関係性があるかによって、その人の金融資本の豊かさにもダイレクトに影響してきます。

当たり前の話です。

社会関係資本が豊かな人間同士のつながりにより、それらの豊かな資源が自分を豊かにしてくれるという関係です。

ここ最近で、社会関係資本の威力を感じる事例は、菅元総理の体験談です。菅さんのキャリアを分析すると、社会関係資本の威力を感じます。法政大学の2部に通っていた縁を頼りに、大学スタッフに法政大学出身の議員を紹介してもらい、秘書としてキャリアをスタートさせ、その後、横浜市議会議員を経て、衆議院議員になり、最終的には、総理大臣にまで出世されました。

ただただ大学の先輩というつながりだけで入り込んだ議員秘書の仕事ですので、下働きの議員秘書時代からひたすらにいろんな方に挨拶しまくっていたと思います。

人間は感情の動物ですから、挨拶すらできない人には、マーケット、お客様に紹介しようとは思えないため、社会関係資本を閉じてしまいます。

可愛げとか、元気に挨拶できるということは人間の感情に働く機能を持っているため、大きな威力で人を動かします。

元本0円の積立投資

挨拶というアクションを健康と社会関係資本への投資だと捉えると、やらないのはもったいないとしか言えません。しかも元本0円です。

毎日1000円をS&P500のインデックスファンドに積み立てると聞くと、それはやったほうが資産形成できるよねとなります。

もちろん積立投資をしない自由もありますが、資金余力があるなら「やりたい」人は多いと思います。

挨拶という無形資産は目に見えないインビジブルアセットです。せっかく誰もが積立できる権利を持ってるのに行使しないのはもったいないと思います。

そもそも挨拶できる人は少数派なので気性価値が高い

メリットだらけの行動なのですが、それでも、挨拶しない、したくない人が多いのはなぜでしょうか。挨拶しない自由もあるという話をよくよく聞いてみると、要するにめんどくさい訳です(笑)

大切なのは分かっているし、しないよりできた方が良いのだけども、めんどくさいからできない。続けられない。これはチャンスが大きい市場です。

皆がめんどくさいからきとんとできない市場ということは、継続的に良い挨拶をできるというのは希少性の高い行為になります。

皆さんの周りでも、元気な声で気持ちの良い挨拶ができる人は多数派ですか?大抵の場合は少ないため、希少な存在だと思います。

経営戦略の要諦は差別化であり、差別化は模倣困難性に支えられています。

挨拶はしない自由があるといってやらない人が多くなるほどに、きちんと挨拶できるというコミュニケーション能力は希少価値を高めて、模倣困難性を増していきます。

名前を呼ぶという行為の親近性

人間は動物なので、警戒心を持って周囲との距離を適切に取りながら生きています。

特に名前という固有のIDで呼ばれるというのは、かなりパーソナルな関係性になります。

日本では古来から固有名詞の名前を呼ぶことは親族以外ではタブー視されてきました。

この名残は、職場でも名前ではなく役職で呼ぶときなどに色濃く残っています。

卑弥呼という存在も、固有の名前ではなく、役割であったと指摘し、地域ごとに卑弥呼がいたという説もあります。

「卑の弥呼様」。部長と同じだと思うと、何人居てもおかしくありません。

私達も苗字にさん付けで呼ばれる関係性と名前やあだ名で呼ばれる人とは関係性が異なります。

この原理を踏まえると、名前を呼び挨拶をすることは、相手との社会的な距離を縮めることに絶妙な効果を発揮します。

こうしたことを考えていくと、豊かな人間関係を築いていくために、挨拶を重ね、名前を呼びかけて挨拶できる人が増えていく人生と、そうした行為を一切しない人生では、複利効果で社会関係資本の積み上がりに大きな差が出てきます。

現在の小さなめんどくさいことを重ねると、将来には大きなリターンが返ってくると思うと、意識的に挨拶を重ねることの大切さを感じます。

精神論や道徳論ではなく、極めて現実的にメリットのある行為だと捉えて、今日も、明日も元気に挨拶力を磨いていきたいと思います。


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