【オンライン読書会】『組織開発の探究』哲学的基盤(2)フッサール
先日の『組織開発の探究』のオンライン読書会で担当させていただいた第3章について、先週のnoteではデューイを振り返りました。
組織開発の哲学的基盤を成す哲学者として、デューイに続いてはフッサールが取り上げられています。エポケーの人ですね(笑)。
現象学とは、私たちが世界に関わる中で生まれる現象や経験に焦点を当て、それらを記述し、私たちと私たちの世界の両方を理解していこうとする「経験の記述学」です。一言でいえば「今ーここ」を重視する哲学と言えるでしょう。
プレ読書会に参加されたある方が「わからないものをわからないままにおいておける力」と形容されていて素敵な表現だなと感じました。何らかの価値判断を下すことなく、その事象をわからない場合はそのままにしてありのままに受けとめることは決して簡単なことではありません。
ではなぜフッサールは、「今ーここ」を重視することを主張したのでしょうか。
フッサールが問題視していたのは過剰に自然科学を重視する当時の風潮です。事実学(自然科学)は、人間にとって最も重要な問いに対して何も語ってくれない学問であると警鐘を鳴らしているわけですね。
自然科学は客観性を重んじ、人類全般をスコープに置きます。もちろん焦点を広げて普遍的な対応策を練ることも大事な時があります。しかし、そうした際に捨象される個々別々な事象、つまり「今ーここ」の私がこぼれ落ちます。ここにフッサールは焦点を当てようとしています。
「今ーここ」を扱うためには、客観主義で軽視あるいは無視されている主観性に焦点を当てる必要があるとフッサールは言います。というのも、「今ーここ」に立ち現れる世界というものは、客観的に存在するものではなく、主観的に構成されるものだからです。
そのためには、私たちが普段は素通りしているような経験について意識を傾け、普段の見方にメスを入れて向き合おうという態度によって自覚できるのです。そのための概念装置がエポケーです。『組織開発の探究』から少し離れて解説してみます。
「エポケー=カッコに括る/判断留保」と安易に捉えてはいけないと、フッサール研究の第一人者ダン・ザハヴィは述べます。
「カッコに括る/判断留保」といったHOWにとらわれるのではなく、なんのために行うのかというWHYに着目する必要があるのです。ではなんのために行うのかというと現出するがままの対象に対して直接的に焦点を当てるためということです。
もう少し脱線して、エポケーについて見ていきます。
「今ーここ」に焦点を当てるためにはこれまでの客観的に正当と言われるような見方ではなく、「新しい光の下」でありのままに眺めることが求められます。私たちは、AならばBであると普遍的なものの見方を、とりわけ忙しい時にしがちです。これはU理論でいうところのダウン・ローディングであり、「今ーここ」を重視する現象学的な視点とは異なります。
旧来のありふれた見方をいったん脇に置き、対象をありのままに見てみようとする。その結果として顕現してきた対象を主観的に再構成して吟味してみる。これがエポケーのポイントと言えるのではないでしょうか。
こうした現象学的な視点あるいはエポケーというものを考えていくと、法華経における現在を重視する思想と近いと感じ、読書会ではさらに脱線しました。わりと好評でしたので以下でも展開してみます。
フッサール的な言い回しを踏襲すれば、「今ーここ」に焦点を当てることによって、過去や未来を積極的に捉えることができると法華経でも言っているようです。
法華経をはじめとした仏教に詳しくない身としては、仏教における輪廻転生とは、過去生がその後の将来生を規定するかのように誤解していました。しかし、現在に傾注して積極的に生きることによって、過去生や将来生を肯定的に捉えるマインドセットとも読み取れそうです。このように捉えれば現象学的な視点と近いように感じますが、いかがでしょうか。
【まとめ】
組織開発との関連性を述べてまとめてみます。フッサールは、「今ーここ」の自明性をエポケーする(カッコに括る)ことを主張しました。それを実現するためには、反省することによってありのままの現実が明らかになると言えます。その結果として、自身が行なっている経験自体に意味を見出すことができると捉えられるのではないでしょうか。
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