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休み休みやる

 国語の修行をせねばならないと決心した。何故かは良く分からない。

 自分がせっかく得た高校の英語教師という仕事を、「適応障害」によって失ってしまったことの意味を考え続け、早5年の月日が流れ、その間に、学習塾の雇われ教室長として拾ってもらったり、一度破局した家族関係も順調に回復し、また精神安定剤と睡眠導入剤の助力もあり、最近は、やっと人間らしい生活ができるようになってきた。

 何故に英語教師の仕事に「適応」できなかったのか。その仕事に適応し過ぎようとして無理をしたのだろうか。教師に向いていないのは、教師になるずっと前から気が付いていた。自分はそんなちゃんとした人間じゃない。教師という仕事は憧れる対象であって実現する目標ではない。だから、いざ本当に教壇に立つことになって、急に狼狽えてしまった。それが実情だったと思う。

 立派な仕事は向いていない。肩書があるような仕事は向いていない。他人から「先生」と呼ばれる仕事は向いていないのだろう。医者、薬剤師、弁護士、税理士、労務士、会計士、政治家はそうだろう。作家の佐藤優さんが言っていたが、刑務所の職員も「先生」と呼ばれるそうだ。「ちゃんとした」「しっかりした」仕事が向いていないのだ。

 ちゃんとしていない、しっかりしていない仕事が向いているのだとすれば、だが、そんな都合の良い仕事などあるのだろうか。或いは、今の仕事も、ちゃんとしない、しっかりしない、もっと緩く、ゆっくり、丁寧にやらしてくれたいいのだが。

 寒いからジムで歩きたい。毎日アルバム一枚分くらいは。

 毎日700キロカロリー消費したい。1万歩ジムで歩く。多分、休憩しながらなら、2時間弱は歩く。さっき歩いてみたが、たかだか2500歩歩いただけで相当に疲れた。25分1セット、2500歩。

 小分けした方がいいだろうと思う。今、相当体力が減っている。1万歩も連続で歩けない。まず、仕事前(9:00~12:00)に2セット。仕事の休み(14:00~15:00)に1セット。仕事終わり(22:00~22:30)に1セット。これでやってみよう。

 疲れたら休むこと。これがとても大切である。


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