Takaony a.k.a. 高鬼

日々の生活を言葉に。 プロフィールやブログについては下の記事を参照していただければと。…

Takaony a.k.a. 高鬼

日々の生活を言葉に。 プロフィールやブログについては下の記事を参照していただければと。 https://note.com/takaony/n/n3dd84df77e35

最近の記事

身体論序説

    体が重い。食べてはならないと思いつつ、やっぱり食べてしまった。体を軽くしたいと常々思っている。体をどうにかしないといけない。体が重過ぎる。汗を掻いて、体から脂肪を落とし切って、血の巡りを良くしたい。動きをスムーズにしたい。内臓脂肪を減らしたい。体力をつけたい。35キロ落としたい。明日から、今からすぐ、生活習慣を整えたい。     何度も何度もそう思い、またそれについて書いてきた。だが、問題は、書いても書いてもそれを読み返すことをせず、すぐに忘れるということだ。  

    • 何事も方法がある

          体を軽くしたい。やはり何も食べず飲まずで二、三日暮らせばスッキリするものだろうか。出るものは出て、入れるもの入れない。水も抜く。     確かにお腹は減っていないのだ。喉も渇かない。なのに何故食べたり飲んだりするのか。一言。暇だからである。     暇潰しに飲食をしている。これがいけない。飲食がいけないのではなく、暇潰しの仕方を知らないのがいけない。本を読むのも、音楽を聴くのも、映画を観るのも、飽きている。あらかたそういうものはやってしまった。好き作家も決まってい

      • 「食」に関するいくつかのノート

        朝は、起き掛けに珈琲を2杯、薬としてビタミン剤、鉄分を摂取する。減量期でも、朝ご飯は食べたい。和食なら卵とご飯の組み合わせを考える。目玉焼き、ゆで卵、オムレツ、スクランブルエッグ、卵焼き、卵かけご飯。そこにお味噌汁を加える。スーパードライ製法の味噌汁が本当に美味しい。 昼は、食べる時間がバラバラだから、これも整えたい。昼食は外で食べることが多い。コンビニのご飯はやはり太る。手作りの弁当が欲しい。朝、おにぎりを握るのはどうだろうか。おにぎりの具は、シーチキンマヨネーズ、明太子

        • ナイト・ルーティンが決まった

           日々やることがなかなか決まらず、少し苛立っている。なかなか生産的な生活というのは成り立たせるのが難しい。  まずは朝起きる事についてである。朝、というのは7時から8時の間にパッチリ目が覚めたいのだが、これがまず難しい。この目標を達成するためには、眠る時間を決めないといけない。睡眠時間を7時間にすれば、24時には寝床についていなければならない。眠る前の3時間前には珈琲を控えないといけないし、眠る1時間から2時間前に睡眠導入剤を飲む必要がある。食事を抜いている時などは、薬の効

          2023年のテーマ「克己復礼」

          何を待っているのか?待っても誰も来ないし、何も起こらない。私は、釣竿を抱えて海の前で佇んで、釣れないことを嘆いている愚かな釣り人に似ている。或いは、約束しない人を待つ待ち人である。植えていない土の前に、「なぜ何も生えてこないのか、この土が悪いのではないのか、水のやり方が不味かったか」と訝しんでいる農夫のようである。勉強していないに定期テストで点数が伸びないのを、担任の教師の責任にしている甘ったれな子どものようである。不摂生が祟って体調を崩しながら、仕事が合わないのではないかと

          2023年のテーマ「克己復礼」

          模倣する自分を作る

           生活には様式がある。一年に季節があるように、日毎に天気が変わるように、生活は人間的自然なものである。私は、生活を変えようと奮起しては、悉く失敗し、その度に打ち拉がれていた。考え方が根本的に間違っていたのだ!生活とは、既にそうなるべくしてなっている、いわば自分自身の来歴を引き摺った過去の形態そのものである。もし、生活改善が、単純な過去の否定として、或いは過去からの断絶として意図されているのなら、当然、そのしっぺ返しが来る。  私は、ここに於いて、最近聞き齧った「保守」という

          模倣する自分を作る

          三日坊主に居直る

           日々、日毎に行う事を決める。それは絶えず変化する。変化していいのだと思う。三日坊主を恐れてはいけない。何をしようか。  やはり体が重い。まずは体を絞る事。頭がぼうっとする。食べない。どうせ三日坊主なのだ。3日毎にやることを変えてもいいのだ。この3日間は、野菜ジュースと水と珈琲と炭酸水以外は、体に入れない。それで様子を見よう。歩くのもしんどいから、ジムは行かない。疲れる。  無理をしないことだ。無理をしても良かったことが一度もない。  体の声を聴く。それを怠って来たので

          三日坊主に居直る

          動き・流れ・リズム

           自問自答しても仕方ない。内面を見つめる「才能」が無い。「ちゃんとしなきゃ」と思えば思うほど、ドツボに嵌る。だが、それが良くないことだと分かっていても、別のやり方を知らなければ、知ってそれを実行しなければ、結局同じやり方を踏んでしまうだけだ。  反省するな、ということだ。実行し、実行する。計画を立てるな。実行せよ。実行し続けろ。行動せよ。反省するな。改善するな。循環するな。やり直すのではない。修正し続けろ。動き続けろ。手を動かし続け、体にリズムを与え続けろ。考え続けろ。継続

          動き・流れ・リズム

          自問自答の無意味さ

              朝起きる。それだけの事でも今の私は一苦労である。私は一辺に全てを「良く」しようとする傾向がある。そして、二、三日続いて、四日目に嫌になる。飽きて、我慢できなくなる。堪え性がないのだ。だから、一つ一つ、ゆっくり、丁寧に、慎重に、それが無理にならないまで、継続させる事を目的にしてやってゆきたいと思う。     朝起きる事。概ね8時までに起きる。朝起きたら、まず音楽を聴きたい。それは無理ではない。身体がそれを求めるからだ。冬は外が寒い。外に出たくない。コーヒーを作る。タバ

          自問自答の無意味さ

          『継続するコツ』を読んで

           坂口恭平さんの『継続するコツ』(祥伝社,2022年)を読んだ。途中眠くなってきて、かなり飛ばして読んだので、あまり内容は覚えていない。だが、それでいいのだと思う。コミュニケーションの中身の八割以上は、その場の空気や雰囲気、流れ、なんとなくな感じ、印象なのであって、言葉の意味はさして重要ではないのだから。私にとって読書は筆者とのコミュニケーションである。内容で判断するのではない。その人と観念的な対話をしているのだ。時間を共に過ごしたということの方が大事である。  坂口さんの

          『継続するコツ』を読んで

          休み休みやる

           国語の修行をせねばならないと決心した。何故かは良く分からない。  自分がせっかく得た高校の英語教師という仕事を、「適応障害」によって失ってしまったことの意味を考え続け、早5年の月日が流れ、その間に、学習塾の雇われ教室長として拾ってもらったり、一度破局した家族関係も順調に回復し、また精神安定剤と睡眠導入剤の助力もあり、最近は、やっと人間らしい生活ができるようになってきた。  何故に英語教師の仕事に「適応」できなかったのか。その仕事に適応し過ぎようとして無理をしたのだろうか

          国語の修行 

           職場の後輩が教えてくれたJBL社製の小型ポータブルスピーカーを買ってみた。とても調子が良い。音質もパワフルで、中音域が前面に押し出されているから、空間が広がるような聴き心地である。これで4000円とは。    何度となく『神田橋語録』(http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf)を読み返してしまう。読むことが心地良いからだろう。医者の書いた文章というのは、何か不思議な響きがするものである。医学という学問は、元来、自然科学と人

          元旦にちなんで

          一年の計は元旦にあり、という。昨年は、日がな一日、そんなことばかりして機会を失っていた気がする。(追記。毎日一年計画を立てるような日々とは、つまり、毎日がお正月のような日々ということだ。永遠に明けないお正月。それは端的に言えば、祝日しかないカレンダーだ。それは何か恐ろしい日々であるに違いない。毎日、今年はこれをやろう、といって、永遠にそれが訪れないのだ。決意の日々。それは、不実行の日々、後悔の日々である。今年はそんな年にはすまい。行動した後に反省すべきであって、行動しないこと

          元旦にちなんで

          そういえば、JBLのスピーカーと、どん兵衛の鴨蕎麦と、シーチキン缶をAmazonで買ったのだった。忘れていた。

          そういえば、JBLのスピーカーと、どん兵衛の鴨蕎麦と、シーチキン缶をAmazonで買ったのだった。忘れていた。

          他者を求め、動き続ける

           坂口恭平さんの『躁鬱大学』読んでいる。私は「躁鬱人」であると自覚し、また実際に躁鬱病、双極性障害Ⅱ型なので、この本は私のために存在するといっても決して過言ではない。「躁鬱人」とは別名「日課人」である。つまり、日々刻々と、己自身に向かって「次は何がしたい?」と問い掛け、それに真摯に答え、実践することが大事である。『神田橋語録』(http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf)が我ら日課人のバイブルである。  私も坂口さんを真似て、神

          他者を求め、動き続ける

          「とにかく」と「なんとか」

           坂口恭平さんの文章を読む。とても正直な人だ。とても実践的な人だ。とても繊細であると同時に、またとても合理的な人だ。配慮の人だ。素直な人だと思う。率直な言い方をして、尚、失礼にならない。大学院の時にお世話になったO先生もそういう人だったが、それはきっと美徳から来るものだ。小林秀雄が三木清と対談したとき、パスカルが話題になった。二人が一致したところ、パスカルは「原始人」である。それは、確かにそう言われたらそうだなと思った。あの手掴みの感覚。私は、坂口さんにもそういう、何かしら原

          「とにかく」と「なんとか」