勉強したい!

生活の立て直し

生活は変えられる。それは希望である。自分の考え方は変えられない。感受性も固定化しがちである。好みも変わらない。だが、それでも生活は変えられる。変えられる筈である。そう思わなければならない。

生活を見直す

生活を見直す。すると幾つかに分類、区分けが出来る事に気が付く。まずは、仕事と仕事の前後である。仕事前、仕事中、仕事後。この三つの時間をまずは大切にしなければ、他の時間を大切にしようがない。生活の立て直しという時、生活は政治になる。自分自身を国家と見立てたならば、仕事とは現場であり、現場とは闘争も含むのである。では、仕事前、仕事中、仕事後。この三つを考える。

仕事前の過ごし方

仕事前。それは始業時間の1時間前のことである。まず、顔を洗い、歯を磨き、服を着替えて、髪を整える。コンタクトレンズを装着する。持ち物を確認する。本日の仕事の段取りの大枠を掴む。職場に到着するまでの自分を想像(イメージ)、想定(リハーサル)する。これは上司からの教えである。想像(イメージ)、実践、修正。この3つをどれだけ回せるのか。それが仕事前の1時間に使う。

仕事中の過ごし方

これは仕事前の想像、想定を実践し、また修正することである。実践と修正というのは、要するに臨機応変である。そして、これもはっきり言って、そのクオリティは、体調に依るのである。正直、今の体調では、どれだけ想像しようが、実践し修正することができない。残念なことだ。まずは、体調をよくすること。

仕事後の過ごし方

仕事の後は、反省である。想像し、実践し、修正した。それを何度も回した。やることはやった。そう思う。反省することは、恐らく、無限にあるだろう。実践すべきことをしなかった、修正するべきだったのにしなかった。報告し、連絡し、相談するべきだったことをできなかった。なぜか。怒られるのが怖い。ばれるのが怖い。そういう精神的な原因があったのかもしれない。反省とは、私において、自己嫌悪と同義、同質である。だから、私は、上手に反省せねばならない。つまり、褒めて、指摘して、また褒めるというような具合に。私は、もっと自分を褒めた方が良い。

生活ー仕事=?

生活から仕事を差し引いた後に残るものは何だろうか。ライフ・ワーク・バランスというが、私にとって、まず、生活が上位概念としてあって、その中に「仕事」が主要素としてあり、その他に細々と、「趣味」や「遊び」や「社交」というようなものがある。そう考える。だが、もしかすれば、そういう考え方が良くないのかもしれない。生活と仕事のバランス。その考え方を取り入れれば、仕事は生活と同じくらいの重要度を持つという事になる。確かに、現実はその通りなのだ。寧ろ、仕事ー生活=0になっていることの方が問題なのだ。否、現状はもっと酷い。仕事生活になっていればまだマシなのだ!生活が仕事の足を引っ張ていること。つまり、生活を仕事と同じくらいの重要度に引き上げる事。そのような思考が必要である。

生活/仕事の二項対立を超えて

とは言いつつも、私は、二項対立状態に、もう我慢ならない。生活と仕事を二項対立構造で把握することは、自己を精神と肉体として把握しようとすることと似ている。それは解釈である。仕事であると思えば仕事であり、生活であると思えば生活である。一切の価値判断は、解釈次第で変化する。まずはこのような認識の転換を俟たない事には始まらない。

より良い「解釈」をもたらすものは何か

そんなものは、すぐに分かる筈がない。自分で拵えられる筈がない。更に、よく知らない人の物を勝手に借用することはできない。というか、そういうことを選ぼうとする以前に、それは到来しているものだ、という言い方もできる。それは、歴史的な、個人史的な、ファミリー・ヒストリー的な産物であろう。それは、現在の自分自身の価値判断について振り返ることから始めねばならない。

小学校からやり直す

だから、私は、小学校から勉強をやり直したいと思う。具体的には、中学受験レベルからやり直したい。やり直していく過程の中で、価値観なり価値基準なりが自然と育まれることを期待したい。詳細にその計画を語れば、『自由自在』シリーズを国語、算数、理科、社会を、問題集含め、全部やりたい。

3ヶ月間で、人はどれだけ変われるか

この動画の44分辺りに、波頭亮さんの勇気づける言葉がある。以下引用
「3ヶ月1000時間、集中的に努力すれば、(論理的)IQが20から30上がる」この言葉を一先ず信じたい。

ということで、勉強したい

まずは、6ヶ月間、中学受験の参考書を、本気で頑張りたい。「本気で」というのは、つまり、1日6時間程度勉強する。勉強したい!


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