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理不尽な出来事から何を学ぶか

こんにちは、産婦人科医の高尾美穂です。

今日もいただいたレターを一つご紹介させていただきます。

初めまして、現在育休中の会社員です。

いつも育児の合間に拝聴しており、ほっと休まる一時を楽しんでおります。

ご相談させていただきたいのは、理不尽な目に遭った時にどうすればいいか、またそれを乗り越え、心のもやもやを消す方法についてです。

産休中に人事評価で最低評価がつき、わずかですが基本給が減りました。
産院から退院した数日後に突然給与改定通知が届き、身に覚えがなく怒りが湧きました。

上司と面談し理由を問いましたが、そういうことだとの一点張り。

さらに踏み込んで問うと、配慮されておいて評価してほしいのか、感謝の気持ちはないのかと質問の内容とは直接結び付かない話ばかりされ、産後一か月未満の精神状態では疲れ果ててしまいました。

人事部にも再評価や妥当性の検証を申し出ましたが、事前通告なしにましてや産休中に減給という事態に驚きはするものの、評価手順に間違いはないためやり直しは難しいとのこと。

以降、上司とは全く連絡を取らず、もやもやしたまま数か月が過ぎました。気持ちを切り替えて前に進むため、先生の教えを請いたく思います。

今回いただいたレターは、理不尽な出来事に出会ってしまった時にどうしたらいいのだろうというお話かと思います。

お仕事で産休中に減給され、その理由がどう見ても産休で休んでいることであるという内容だと思います。

まず理不尽なことが起こってしまった時、悲しみや、悔しさ、怒りなど色々な感情が湧くと思います。

そこから前に進みたいと思っているのであれば、この出来事から自分が何を学べるのかを考えてみることが必要なのではないでしょうか。


この出来事から何を学ぶのか


まず一つ言えることは、そういう会社だということです。

産休などのサポートはあるけれど、産休中の人事評価は特段理由がないのに下げられてしまう身に覚えのない評価をされてしまっているという点から、そういう会社だという理解になるということです。

これは、良くも悪くも、それが分かって良かったとも言えるのかもしれません。

そして、世の中は理不尽なことだらけ、これも一つ言えることだと思います。

例えば、私の大学院時代の話です。

研修期間を過ぎ、医師になって5年ほど経ち、一端の産婦人科医として働く中、大学院に行くというような流れが当時は一般的でした。

外来診療や手術、当直もしながら研究もできる臨床大学院という仕組みが作られた頃だったこともあり、私は6年目からそこに入学しました。

しかしそれはある意味、ほぼ無給で働きながら大学院生として学ぶと言えるような仕組みでした。

一般的な大学院と同じように学費を払って通いますが、医師の仕事をしながら、大学院の研究も進めていかなくてはならない。
給料が入っても、当直の時の日当のみというような4年間を過ごしました。

この経験は、本当に、理不尽という言葉でしか表すことができないと今になっても思います。

当時、大学院をやめるという選択肢もありましたが、せっかく大学院に入ったのだから卒業し、博士課程を終了したいという気持ちがあり、その4年間を耐える選択をしました。

しかし、振り返ると、そこまで焦って入学しなくてもよかったのではないかと思ったりもします。

まだ臨床大学院という仕組みができて間もなく、選ぶ際、状況をよく把握せず判断してしまったというのが反省点だなと感じています。

おそらく世の中には理不尽なことがたくさんあると思います。

正当な評価を受けることができなかったり、事実がうやむやにされたりなど、社会は本当に理不尽なことだらけだと思います。

今回レターくださった方もとても理不尽だと感じ、怒りの気持ちが湧き、落胆して、これからどうしていったらよいのかと思っておられると思いますが、これからのことを考えてみた時、きっと幾つも選択肢があるはずです。

辞めて次を探してみる。

なんとなく、もやもやした気持ちを抱えながらも会社に戻ってみる。

戻った後を想像してみると、例えば子供が育っていく過程においては時短や周りの方にヘルプを求めながら仕事をする可能性の方が高いので、周りの方達とコミュニケーションをうまく取れるようにしておく。

そういう方法も、きっとこの方にとってはプラスになると思います。

そう考えると、結局は考え方を変えていく、これに尽きるのではないでしょうか。


変えられるもの、変えられないもの


理不尽な出来事と出会った時、相手が悪い、相手を何とかして変えたいというような思いを持っているうちは、起こっている問題がなかなか解決に向かわない可能性が高いです。

結局変えられるのは、自分なのではないかと思います。

自分の生き方や考え方、その物事に向き合っている姿勢を変えていく。
それにより初めて、状況や相手が変わっていくと考えるしかないのかもしれません。

当時の状況が自分にとって納得がいかない状況でも、いずれはそれも自分にとって成長できる機会だったと思えるようになっていくと思います。

私も、大学院時代のことを理不尽だと思いながら過ごしてきましたが、卵巣癌の研究にも携われ、今では良い経験だったと思えるようになっています。

きっと、その状況を飲み込みながら、どのような考えを持てば前向きにいられるか、自分の考え方を変えていくことでしか私たちは前に進めず、それこそが自分を成長させていく理由になり得るのだろうと思います。


評価と価値


今回のケースのように、評価が突然変わってしまうということもあると思いますが、人からの評価が少しぐらい変わったとしても、それは自分の価値の変化には直結しないと思います。

周りから見る自分の評価は、その環境によって変化することがあります。

為替や金のイメージに近いのかもしれませんが、その時の状況などで、その価値が上がったり下がったり、例え同じものでも世界から見た価値が大きく変化することが有り得ます。

そう考えると、外から見た価値と自分で抱いてる価値というのは分けて考えていいのではないかと思います。

周りから、価値が下がったという評価を受けたとしても、自分の価値はそんなに上がったり下がったりするものではありません。

人から見た価値の変動は、世の中や環境の変化によって多少は動くものかもしれないという考えを持っても良いのかなと思ったりしております。

理不尽なことが起こった時に、その状況が変えていけるのであればもちろんそれが望ましいですが、大抵理由もなく起こっていることが多いです。

起こっている出来事を良い方向に変えていくことが難しいとなれば、結局はその物事に対する捉え方を変えるしかないのかもしれません。

時間が経ち、初めて良い捉え方にしていけることもあります。


まとめ


このレターをくださった方も、暗中模索の状態だと思います。

周りからの評価が多少変化したとしても、ご自身の価値はそんな周りの波で変化するものではないはずです。

それをまずはご自身の中で強く持っていただき、いずれにしても、ご縁ある方たちとのお仕事だと思うので、コミュニケーションは是非どうにか前向きに、そうでなければ本当に気持ちよく辞めてしまうというのもありなのではないかと思います。

おそらく理不尽なことは人生でちょくちょく起こります。

もちろんその渦中にいる時は、きっとそんな思いにはなれないと思います。

しかし、そのような出来事ですら、自分が成長していく過程にしていくこともできる。

私達はきっと、様々な出会いの中で人間性などを磨き、自分を成長させていくものです。

長い人生を見たとき、起こった出来事から何を学び、そしてそれをどうやって自分の成長に繋げるのか、そこに尽きるのかなと思います。


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産婦人科医 高尾 美穂
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