「話かけやすい人」でいるのも凄い強みです。
こんにちは、産婦人科医の高尾美穂です。
今回は、いただいたこちらのレターから一緒に考えていきましょう。
人と関わる中でいつも葛藤してしまうことについて質問をさせて頂きます。
私は40代女性です。
おしゃべりが止まらない人について悩んでいます。
例えば、スーパーで顔見知りに会ったら当然のようにおしゃべりをされます。
おしゃべりをされるというのは、私はたいてい「聞く側」だからです。
私が話すのは1割、多くても2割位かなと思います。
私に語ってくれるのは、高齢の女性や、他人に気持ちを聞いてもらって落ち着くタイプの繊細な女性が多いです。
人に話すと心が楽になるのだろうな、だから聞いてあげるのが優しさだよねと思うのです。
しかし、一方的に話をされるのはちょっと苦手だなと感じますし、感情のはけ口にされているとも思って、悲しくなったりします。
でも話してくれることがありがたいと感じることもあり、気持ちが定まりません。
愚痴や不安や不満をただ他人に話すというコミュニケーション方法について先生はどう思われますか。
また話して発散するタイプの人と、どう関わったら良いですか。
街中などで、どなたかに出会って「◯◯さん!」と声をかけられて、立ち話などをすることが多いということかなと思います。
そんな中で、会話が五分五分であれば、まだ良いけれども、一方的に話を聞かされるというような状況が、なんとなくモヤッとしている方なのかなと想像します。
話しやすい雰囲気を持つ方
まず、こんな方達に共通していることは、きっと話しやすい雰囲気の方なのだと思います。
この方だったら話を聞いてくれそうという人じゃない限り、そんなに話しかけられる事はないと思います。
私たちの外来においても、話しにくいような雰囲気の中では、多くの患者さんが言いたいこと全部言えなかった、聞きたかったこといっぱいあったのに、聞けずに終わってしまったと思っておられる方がいらっしゃいます。
そうなると、やはり話しやすい雰囲気、もしくは、話しやすそうな人柄。
あとは、雰囲気の中には表情や笑顔も含まれますよね。
他には会釈とか、こういったものが十分に準備されている人だからこそ話したくなるのではないか、ということがまずは思い浮かびます。
世の中そういう方ばかりかというと、そうでもないと思います。
普段から特に怒っているわけでもないのに、怒っているように見える人も、もちろんいます。
普段は優しい気持ちを持ちながら話を聞けるけれども、いつもそうではないという方もいらっしゃると思います。
お仕事などで波風があるような立場の方だと、いつでも時間を作って優しく話を聞けるという人ばかりではないのではないかと感じます。
そう考えると、顔見知りにおしゃべりをする、相談や話を聞いてほしいという人は、おそらく相談が3割ぐらいで、7割ぐらいは話を聞いてほしいと思っていらっしゃる方が多いのではないかと感じます。
自分は、話を聞いてほしいと思われている中の1人なのだという受け取り方を、まずはしてみも良いのではないかと思ったりもします。
現在40代ということですが、これから年齢が高くなっていく中で、自分のことを社会に認知されていないという悲しさ、寂しさというものは、高齢者の皆さんには大きな孤独感を感じさせるとされています。
そう考えたときに、まず人から話しかけられる自分でいるということ自体が、すごく素敵なことだと思います。
話しかけてくる方達とはどういう方か?
もう一つ、その話しかけてくる方達というのは話す相手を探していて、しかもそれを受け入れてもらえない場が多い。
だから聞いてくれそうな話を、実際に聞いてくれる方に声をかけるのではないかとも思います。
ただそこでもう一つの問題は、受け取り手であるこのレターをくださったご自身が、どう思っておられるかということです。
つまり、この立ち話になってしまうという状況が時間的に困る。
それこそ、この方がおっしゃっておられる通り、1〜2割しか自分が話せないので、そういった時間が自分にとっては非常に不利益だと感じているのであれば、それなりの対応をすることにより、きっと話をされなくなると思います。
「時間がないから、ごめんなさい」「先急ぎますので、すいません」というような対応を1~2回繰り返すと、多くの方は話してこなくなると思います。
もしかすると、それでも声をかけ続けて来られる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、多くの方は迷惑そうだなというような感覚を感じると思いますので、そういう選択肢はなくはないと思います。
ただ、この方が今の時点で、そうしていないという状況であれば、100%嫌だと思っているわけでもないのではないかとも思うのです。
でもそんな中で、一方的に話をされるのは苦手だと感じていらっしゃるので、ある程度自分の意見を挟む意識を持つというのはいかがでしょうか。
おそらくその方たちは、一方的に話をするのが得意な方が多いと思います。
ですので、別にこちらから何を返さなくても、ずっと話をされるではないかと考えられます。
自分の言葉を話すというアクションをしてみること
そこで1つ、2つ自分の言葉を話すというアクションをしてみるのはいかがでしょう。
もしも、自分側からも話したいということであれば、その興味があるような分野の時には自分の意見を述べてみる、相槌以外の何かを挟むということはありなのではないでしょうか。
この方は、きっと相手に対して、話し続けられるような環境を提供できている人だと思います。
それはとても素晴らしい能力だと私は思います。
きっとそういった能力が高い低いはあると思いますので、コミュニケーションを必要とするお仕事の方には特に、見習うべき姿勢や対応ではないかとも感じます。
ただ、その状況について、自分が嫌だと思っているのであれば、そこは変えてみても良いかもしれないということもお伝えできればと思います。
ただ、話す内容、聞く内容も大切になってきますよね。
これが愚痴や不安や不満ということが書いてあります。
話かけられる内容のすべてがそうではないとは思いますが、ただ、愚痴や不安や不満をずっと聞くということは、私たちの脳にとってインプットするものとしても良くないと思います。
ですので、愚痴っぽくなっていたら、ある程度話の方向を修正していくのも良いかもしれません。
そして、それでも愚痴ばっかりになってしまうような方とは、この会話のコミュニケーションをなるべく避けるような対応をなさってみるというのも一つの方法だと思います。
まとめ
私たちが聞く言葉というのは、自分の考えや、脳に影響を及ぼす事になりうると思います。
したがって、人の愚痴を聞いている暇はないというくらいの対応が必要な時もあるかもしれません。
ですので、聞いていて嬉しい、楽しい、新しい発見があると思うような内容であれば、是非相槌をうって、自分の意見を挟んで聞いていただいて欲しいです。
普段の立ち話で、自分のこれからにメリットがある話ばかりではないと思います。
メリットがなかったとしても、自分にとって気持ちが前向きになるような話であれば、時間の制約がなければ聞くのが良いのではないかなと思います。
しかし、ネガティブなイメージになってしまうような話である相手だったら、少しずつ自分はこの話が良い時間の使い方ではないというような行動を示すということもありなのではないでしょうかというお話にさせていただこうと思います。
ぜひ前向きな一日を過ごしていきましょう。
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