洋楽離れという現実を受け止めろ!
ここ数日、“洋楽離れ”という言葉がネットを賑わせている。
きっかけとなったのはデイリー新潮の記事だ。同記事の趣旨は今月開催されたSUMMER SONICはK-POPや国産アイドルのステージは大盛況だったが洋楽アーティストのものは閑古鳥が鳴いていたというものだ。
これに対して、ロッキング・オンやかつて存在したCROSS BEATのような洋楽系音楽雑誌の論調に洗脳されてしまった信者化した一部の洋楽ファンは、“マネスキンは混み合っていた”とか“(記事で言及された)クリスティーナ・アギレラは全盛期は90年代末から2000年代なんだから日本の若者が興味を持たなくて当然”などと主張し、この記事の執筆者やこれに同調した音楽ファンの否定に走った。
日本でマネスキンの集客力があること。今のクリスティーナ・アギレラにはないこと。これらは事実だと思う。でも、洋楽が日本人に聞かれていないのも事実であり、自分たちの好きなマネスキンまで否定されたような気分になり、洋楽離れという現実から逃避するのは良くないと思う。
Billboard JAPANの2023年度の年間チャートによると、上位100作品のうち、K-POPを除いた洋楽でランクインしたのはアルバムで1作品のみ、シングルはゼロだ。年間チャートの数値だけで集計すれば、洋楽シェアはアルバム・シングルの合計で0.5%しかないということになる。
洋楽シングルはシングルカットが多いから元々、セールスにしろエアプレイにしろシングル至上主義のマーケットの日本では弱いけれど、アルバムに関してはかつてはそれなりのシェアを誇っていた。単純に40年遡った83年度のオリコンの年間アルバムチャートを見ると、首位は洋楽だし、トップ10内には3作品。トップ40内には10作品が入っている。大雑把に言ってシングル・アルバムの合算でも2割くらいのシェアはあったのだから、これは洋楽離れと認めざるを得ないと思う。
洋楽離れの原因としては色々な要素が重ね合わさった結果としか言えないと思う。
日本人が2000年代以降、ドメスティック志向になったのは事実だ。その背景には小泉政権で派遣労働者が増やされ生活が貧しくなったことや、小泉訪朝により、コリアンに対する嫌悪をあからさまにするネトウヨ的思想の者が増えたというのもあるのだろう。
音楽の世界の洋楽同様、映画の世界でも2000年代以降、洋画のシェアは落ちているので大きな枠組みとして内向きというのは言えるのかも知れない。
ただ、洋画の不振が続いてもDVDのレンタルや2010年代半ば辺りからは配信で海外ドラマは人気を集めているし、K-POPは聞かれている。
洋画のかわりに海外ドラマ、洋楽のかわりにK-POPに接するようになっているのだから、完全に内向きとは言えないのではないかという気もする。
日本人は歌詞を重視するから洋楽を聞かないとなると、英語の歌詞で歌うKen Yokoyamaや歌詞の大半が英語のONE OK ROCKといった邦楽アーティスト、さらには韓国語のK-POPが支持されている理由の説明が付かなくなる。
また、老害ネトウヨ思想に毒された中高年はマスコミやレコード会社がゴリ推しするからK-POPが売れているように見えるだけだとほざいているが、それだったら、ゴリ推しはジャニーズとか秋元康系アイドルの方が酷いと思うし、各局の音楽番組の出演者がどこも似たような顔触れだったり、自局のドラマやアニメの主題歌を歌っているアーティストばかりであることだってゴリ推しだから説明にならない。
邦楽のレベルが上がったという説を唱える人もいる。確かに80年代までの邦楽の国内のスタジオでレコーディングした音はジャンルを問わず安っぽかった。だから、海外レコーディングにこだわるアーティストもいたのだろう。
でも、邦楽のメロディや歌詞、アレンジは80〜90年代からほとんど進化していない。
あいみょんの楽曲が90年代から2000年代初頭のスピッツや洋楽のオルタナ系っぽく聞こえるというのはそういう事象の一つだと思う。
それから、よく米国で流行る曲がラップばかりになったのが日本人の洋楽離れの要因としてよくあげられるが、これも正論っぽいことを言っているようでいて、全然、実情を反映していないと思う。
全米チャートでラップが主流になったのは90年代初頭だが、日本で最も洋楽CDが売れたのは90年代だ。確かにスウェーディッシュ・ポップやMR. BIGなど米国のシーンとは若干異なるタイプの洋楽がよく売れたが(それでも、前者からはロクセット、エイス・オブ・ベイス、カーディガンズといった辺りが米国でも成功したし、後者は“トゥ・ビー・ウィズ・ユー”という全米ナンバー1ヒットを放っている)、それら以外にも、マライア・キャリーやセリーヌ・ディオンなどの歌姫や「ボディガード」や「タイタニック」といった映画のサントラは欧米同様に日本でも特大ヒットとなった。
さらに、ラップに関しては国産アーティストは90年代以降、コンスタントに日本の音楽市場で存在感を示していたと思う。90年代ならスチャダラパー、00年代ならケツメイシやFUNKY MONKEY BABY'S、最近ではCreepy Nutsやアニソン発のヒプノシスマイクが成功を収めている。単に洋楽っぽいサウンドのラップこそ本物という人からは評価されていないだけで、歌モノやアニソン系などを中心にラップは邦楽シーンに定着している。
それにここ数年の全米チャートを見れば分かるように、ちょっと前のようなラップの圧倒的独走状態ではない。リズムを強調したトラップ系のラップのムーブメントはだいぶ沈着している。最近はそれよりもカントリーやラテンの方がチャートを賑わせている。
洋楽離れを加速させているのは、ラップよりもカントリーやラテンではないかと思う。
今はサブスクのおかげでリアルタイムで日本でもカントリーやラテンの新曲を聞くことができるが、CD時代は限られた一部のアーティストを除けば、ほとんど日本盤としてリリースされることのないジャンルだった。
また、いまだにカントリーについて語る時に日本では米国版演歌という“枕詞”が付いているが、ここ30年くらいのカントリーって、ほぼ、ロックやアダルト・コンテンポラリーだからね。
ただ、日本の洋楽ファンというのは、ルックスとかファッションといったビジュアルから入るのが多いので、サウンド的には田舎くささは抜けても、ファッション的にはいまだにテンガロンハットをかぶっているアーティストが多いカントリーをダサいものとして受け入れられないというのはあるのかと思う。
そして、中高年の洋楽信者は何かにつけて、K-POP批判を展開していることからも分かるように、非英語圏の音楽を認めたがらない傾向も強い。ラテンが日本で支持されないのはそういう要因もあるのではないかと思う。
米英ではサブスク時代になって、わざわざ店に行かなくても、通販で色々と検索しなくても、昔の曲も新曲と同じように聞くことができるようになったし、非英語圏の楽曲も聞けるようになった。でも、日本では何故かCD時代よりも聞かれる音楽の幅が狭まってしまった。おそらく、自分から音楽を発掘するという作業が日本人は苦手なのだろう。
ラジオ局がプッシュする曲、CDショップがおすすめする新曲、音楽雑誌で大きく取り上げられた新譜、ランキング上位に入っている作品。そういったアドバイスがないと日本人は何を聞くか決められない人が多いってことなんだと思う。
だから、サブスクのトップ画面に出てくるアーティスト、楽曲ばかり聞いてしまい、聞かれる楽曲の幅が狭まってしまったのではないだろうか。
まぁ、数字の上の好景気はウソっぱちで実質的な日本経済の停滞は30年とも言われているから音楽に“投資”する余裕もないってのが最大の要因であり、音楽に興味を持つ人が20年前、30年前に比べて大幅に減ったのだと思う。その結果、マスコミやサブスク配信サービスがプッシュする楽曲=邦楽やK-POPだけおさえておけばいいやという人が増えたのだろう。
邦楽はほぼ全てが日本側の利益になるし、K-POPだって日本語バージョンを作ったりするから日本側の利益は確保できる。
でも、洋楽は日本側の制作費がかからないかわりに利益も少ない。しかも、第二次安倍政権以降の円安政策のせいで、来日公演やプロモーションをやると儲けがあまり出なくなってしまった。韓国は日本同様ウォン安だから、洋楽アーティストに比べれば損失は出ないからK-POPは重宝されるのだろう。
そりゃ、日本の音楽業界やマスコミは洋楽をプッシュしなくなるよね。
それが、ロックをメインにした音楽フェスでK-POPや国産アイドルの比率が高まる理由なんだと思う。金になるしね。しかも、K-POPや国産アイドルのファンは自分が見たい1組だけのために金を出すからね。
確かにお目当ての出番が来るまで最前エリアで場所取りし、他のアーティストのパフォーマンスを見ようともしない地蔵行為はクソだけれど、フェス主催としては金払い的には上客だからね。
こうした様々な要素が重なった上での現状だし、しかも、サマソニに関しては洋楽だけでなく、かつて洋楽ファンに呼ぶなと言われていた邦楽ロックだって存在感が薄くなっている。
洋楽にしろ邦楽にしろロックの支持層は中高年中心。でも、ここ最近のクソ暑い異常な夏場に野外ステージのライブを見る気力は中高年にはない。金を出すのは結局、たった1組のために金を出すK-POPや国産アイドルの若いオタク。特に女子だ。
オタ活消費の調査でも消費額が多いのは10〜20代女子だ(まぁ、パパ活や風俗嬢、キャバ嬢、コンカフェ嬢などの増加とオタ活消費の好調は≒だと思うが)。
だから、こういうジャンルのアーティストの比率が増えたフェスになっていくのでは?