セプテンバー5
同じくミュンヘン五輪人質事件を題材にしたスピルバーグ監督の「ミュンヘン」は2時間44分もあるが(KINENOTE参照)、本作はたったの1時間31分しかない(日本の配給会社発表のもの)。
ユダヤ人ものは欧米の賞レースでは評価されやすいので、本作も「ミュンヘン」同様、アカデミー作品賞にノミネートされる確率は高そうだ。
ただ、作品のテイストはかなり異なる。
「ミュンヘン」はイスラエル選手らを殺害したテロリスト集団に報復するイスラエルの諜報組織の視点で描かれた作品だ。つまり、ほとんどの場面が後日談で構成されている。
これに対して本作は、事件発生直前から人質となったイスラエル選手ら11人が殺害されるまでを、事件を報道する米国のテレビ局の視点で描いた作品だ。
放送関係者、特にニュースやスポーツの生放送・生中継番組に関わっている人間なら間違いなく、めちゃくちゃ面白い、親近感があると感じるはずだ。
進行表・台本通りに進まなければ進まないほど燃えてくるのは収録完パケものしかやっていないテレビマンには理解できないかも知れないが、生放送をやっている人なら、“そうそう!”って思うはず。
テレビ局の報道部とスポーツ部が対立しているところなんて、どこの国のテレビマン(ウーマンも含む)も同じ経験をしているんだって思ったのでは?
ただ、時代やお国柄の違いを感じる面もある。
編集ブースでタバコを吸ったり、サブで酒を飲んだりなんて今はできないからね。
他局の生中継に勝手に自分のところのロゴを入れて自分たちが中継しているように見せるなんてのも著作権的に現在ではありえない。
テロップをその場で手作業で作って、それを再撮影してカメラで今撮っている生の画に被せるなんてのも超アナログなシステムだけれど、逆に今の感覚からするとかなり難しい仕組みにも思える。
お国柄で言えば、テレビマン(ウーマン)の能力の違いだろうか。日本だと、スポーツ担当はスポーツしか知らない、報道担当は報道しか知らないというのが多い。スポーツ担当なんて、政治や経済の知識は全然持っていないのが多い。自分のような“何でも屋”なんて滅多にいない。政治も経済も外報もエンタメもスポーツも首を突っ込む奴なんて少数派だ。
でも、本作の中継・取材チームは本来はスポーツ担当なのに、テロ事件の報道までこなしている。翻訳スタッフだって、日本だと翻訳のことしかできないが、本作に出てきた翻訳スタッフは記者やADのような仕事までこなしている。
米国の映像業界、マスコミのスタッフは日本とは比べものにならないくらいレベルが高い。日本のテレビ局はマスコミごっこをしているだけだと痛感させられた。
それにしても、新型コロナのせいで東京五輪が1年延期になった上に無観客開催となったのは無念だったな…。
自分の人生でおそらく唯一だった、自分の住んでいる自治体で五輪を見る機会が奪われてしまったからね…。