ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌
昼間に上映している劇場が他になかったので、普段は行くことのない街である吉祥寺で鑑賞した。
住んでいる下町と職場のある都心部。そして、その両エリアにある繁華街が生活圏。つまり、現在は山手線より西側には縁のない自分(生まれは目黒区・2歳までは世田谷区民だったらしい)にとっては、全く異なる世界という感じで、同じ東京とは思えない。地方都市に来たように感じるというのが正直なところだ。
そして、アップリンク吉祥寺で映画を見たのも今回が初めてだ。渋谷のアップリンクよりも、広いし、キレイだし、スクリーンサイズも極小ではない。椅子も座りやすい。渋谷のようなキャンプ場で使うようなやつや、カフェにあるようなやつみたいな映画鑑賞に適さない椅子ではない。トイレだって、渋谷は昔の公衆便所みたいな感じだが、こちらは清潔だ。スタッフの見た目の印象も渋谷よりは明るい。アップリンクといえば、パワハラ(スタッフの訴えを見ると、セクハラと呼べるものもあった)問題があるが、その問題の背景にはかつて渋谷でミニシアター文化が栄えていた時代のことが忘れられずに、その時の気分のままで奢りのようなものがあったのではないかと思う。
そんなアップリンク吉祥寺で鑑賞したのがNetflix映画の「ヒルビリー・エレジー」。2年前のアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」、去年のマーティン・スコセッシ監督の「アイリッシュマン」に続いて、ロン・ハワード監督の本作もネトフリ映画になってしまうとは…。3人ともアカデミー監督賞受賞者なのにね。「ROMA」が賞レースを賑わせた際にスティーヴン・スピルバーグ監督は配信映画は映画賞にノミネートすべきではないみたいなことを言ったけれど、コロナ禍を迎えて考え方が変わったのか、彼の映画会社ドリームワークスは今年、アニメーション映画「トロールズ」の続編を米国では劇場公開と同時に配信したし、実写作品の「シカゴ7裁判」に至ってはネトフリ映画として世に出しているからね。
最近の欧米の感染状況を見れば、東アジアみたいに呑気に新作映画が大ヒットするような状況は望めないから、ハリウッドでは作品を公開延期したくない場合は、映画館が封鎖されたままのNYやLAを除いた劇場で公開するのと同時、もしくは、直後に配信。あるいは、ネトフリ作品みたいに配信に先がけて限定公開。もしくは、ディズニーに多い配信オンリーに変更って形で世に出すしかなくなっているような気がする。特に賞レース向きの作品はそうせざるを得ないんだろうな…。
今年度の賞レースは各賞、発表時期やノミネート資格の規定など色々とイレギュラーなことが多いし、劇場公開予定だった作品が次々とネトフリやアマゾンなどの配信行きになっているが、この調子だとアカデミー作品賞のノミネート作品の半分程度はネトフリ映画になりそうだな…。
日本で限定公開された「シカゴ7裁判」や本作。そして、年内に日本で限定公開予定の「Mank/マンク」なんてあたりは作品賞ノミネート有力だし、同じく日本で限定公開予定の「ザ・プロム」や「ミッドナイト・スカイ」にも可能性はある。そして、劇場公開されずに配信された「ザ・ファイブ・ブラッズ」にも可能性があるからね…。どうなるんだろ?
ところで本作だが、母親役のエイミー・アダムス、祖母役のグレン・クローズは賞レースを賑わせるだろうなと思った。グレン・クローズは完全におばあちゃんだったけれどね。ただ、やたらとタバコを吸っていたし、ネイティブ・アメリカンをインディアンという古い言い方で言い直すような役だから、その辺がリベラル層に嫌われる可能性はあるかもしれないなとも思った。でも、そういう時代なんだから、仕方ないとは思うけれどね。
それにしても、祖母は13歳で妊娠したと言及されていたけれど、母親との年齢差をやけに感じたな…。母親の上にきょうだいがいるのかな?
とりあえず、本作を一言で言うと、ムカつくけれど、母親は母親。いくら自分に暴力をふるったり、迷惑をかけたりしても変わらないってことなんだろうね。まぁ、その気持ちは分からないでもないが。そういう点では今夏公開された邦画「MOTHER マザー」に通じるものもあるのかなと思った。酷い母親役の演技が素晴らしいのも共通しているし。
そして、この母親は学年2位を獲得するほどの頭があるのに成功できなかったということだが、何か学年1位を取ったこともある自分と重なってしまった。もっとも自分は1位の次に100位以下に落ち、その次はトップ20内みたいなムラがあったが。
そういえば、本作は1997年で始まるが、コレって民主党のクリントン大統領が2期目に入った年ということも関係あるのだろうか?次の大統領選では投票結果がなかなか確定しないグダグダ選挙の末、ブッシュ息子が当選し、共和党政権になり、911が起こり。イラク戦争へと突入していったが、そうなる前の呑気な時代というイメージだったのかな?つまり、本作の製作中にはトランプ再選の可能性が高かったので“平和な民主党時代に戻ろうよ”というハリウッドのリベラル的なメッセージを送ることも念頭にあったのかもしれないな。
そして気になったことが一つ。多くの曲が使われているんだけれど、ほとんどがノイズ扱いで聞き取りにくく、エンド・クレジットを見て、“どこで使っていたの?”って曲が多かった。
母親がトリップ状態の時にバナナラマの「ちぎれたハート」がホラーっぽいアレンジで使われていたのは良かったと思うけれどね。
あと、ホイットニー・ヒューストンの「すてきなSomebody」。別にこの曲がリリースされた1987年のサウンドトラックとして使用していたわけではないが。そういえば、1986年から88年くらいって、ラジオをかければ、マドンナかホイットニー、時々、ジャネット・ジャクソンなんてあたりばかりで、食傷気味になっていたのも事実なんだよな…。89年あたりから、そういうのはなくなったけれどね。各アーティストの音楽に社会的メッセージが入るようになった影響もあるのかな?ちなみに、この時期にやたらとかかっていた女性ソロ・アーティストでも、シンディ・ローパーは“もういいよ!”状態にはならなかったな…。
音楽といえば、スコアはハンス・ジマーが担当なのか。「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズやアメコミ映画など超大作のイメージが強いけれど、映画音楽作曲家として名前が知られるようになった当初は、「レインマン」とか「ドライビング MISS デイジー」といったヒューマン・ドラマ系をやっていたんだよなというのを思い出した。