ウルフウォーカー
過去の長編3作品がいずれもアカデミー長編アニメーション賞にノミネートされているアイルランドのアニメーション・スタジオ“カートゥーン・サルーン”の最新作「ウルフウォーカー」を鑑賞。
まずは、冒頭の映画会社ロゴを見て驚いた。本作ってアップルTV向けの配信がメインの作品だったのか。つまり、カートゥーン・サルーンの作品がかつてないほどのスピードで日本公開されたのは(英国・アイルランドと同時)、配信を前に劇場で特別公開というNetflix映画が時々やっている手法だったからなのか…。
さらに、こうしたヨーロッパのアート系アニメーションにも中華資本が入っていることに驚いた。まぁ、Wikiを見ると日本資本も入っているらしいが。
ところで、日本で公開されるアニメーション映画といえば、
① ジブリやディズニー・ピクサー作品
② ジブリ以外の国産の劇場用オリジナル作品(新海、細田作品を含む)
③ ジャパニメーションとかつて呼ばれていたようなタイプの作品(押井、大友作品など)
④ ファミリー向け・子ども向けテレビアニメの劇場版
⑤ 深夜アニメの劇場版
⑥ OVAなどのイベント上映
⑦ ディズニー・ピクサー以外の米国産アニメーション(イルミネーション、ドリームワークスなど)
⑧ 米国産以外の海外アニメーション
といった具合に分けわれると思う。
A:映画批評家や映画通ぶった連中が映画として認めているのは①②③⑧
B:一般の映画観客(学生・生徒やカップルなど)が見たがるのは①②⑦
C:ファミリー層・子どもが見たがるのが①②④⑦
D:オタクが見たがるのが③⑤⑥
って感じだろうか。
D層は非本業声優が多いという理由で②のタイプや①のジブリを嫌っているのが多いし、基本、海外作品にも興味を持っていない。本来は④に含まれる「ワンピ」や「コナン」はB層にとっては②と同じ扱いになり、D層にとっては⑤と同じような扱いになっている。また、本来は⑤の「鬼滅」もB層にとっては②と同じ扱いになっているようだ。それから、本来は④の「クレしん」はA層にとっては、サブカル的扱いになっているので③に近い存在かもしれない。ただ、⑧のような海外アニメーションってシネフィルみたいな人たちにしか見てもらえないんだよな…。
ヨーロッパのアート系アニメーションって、動きは乏しくてもきれいな画とストーリーで見せる日本製アニメとも、リアルな動きでキャラクターを見せる米国製アニメーションとも違って、キャラクターも背景もリアルではない。背景なんて、遠近法とかがおかしかったりする。キャラクターだって動きがおかしかったりする。でも、日本製アニメみたいに止め画にならずに、モブキャラまでもがよく動くんだよな。まぁ、日本製アニメや米国製アニメーションしか見たことがない人からすると違和感だらけなんだろうけれどね。
本作の感想を手短に言うと、ぶっちゃけ、世界観に入りきるまでは睡魔に襲われそうになるが、世界観に入りきった後はめちゃくちゃ面白いし、感動もするって感じかな。まぁ、カートゥーン・サルーンの過去作もそんな感じだったと思うが。
本作はカートゥーン・サルーンの過去の長編3作のうちの2作と同様、アイルランドの伝承をモチーフにした作品だが、因果応報の思想とか結構、日本と近いなと思ったりもした。よく考えたら、アイルランドも島国だから、日本と同じような思想があるのかもしれないなと思った。日本人がエンヤの音楽を好きなのも、そういう島国の思想から来ているのかな?
本作の主人公はアイルランドにやってきたイギリス人少女。彼女は最初、アイルランドを嫌がっていたが、ウルフウォーカー(半分狼・半分人間)の少女と触れ合うことにより、アイルランドの自然を破壊しようとするイギリス側に反発するようになっていく。進駐してきた側が先住民や自然に思いをめぐらせるようになるという描写や、異形の存在などから「ダンス・ウィズ・ウルブズ」や「ポカホンタス」、「もののけ姫」などといった作品を想起してしまう。また、愛鳥をミスによってケガさせてしまった主人公がその後、狼に襲われるという展開は、ドラゴンの翼を傷つけてしまった主人公が片脚を失う「ヒックとドラゴン」も思い浮かべる。
だからといって、本作がよくある話の寄せ集めかというと、そうではなくて、今の時代に見るべき作品にきちんと仕上がっている。
最初はアイルランドの作品なのに主人公がイギリス人少女でアイルランドを批判しているの?と思ったが、途中から悪役はイギリスであることが明らかになる。その描写は最近再燃した北アイルランド問題を嫌でも連想してしまう。
そういう現在の世界情勢とリンクした内容を考慮すると、本作もアカデミー長編アニメーション賞にノミネートされるんじゃないかという気もしてくる。
ただ、不安材料もある。それはキリスト教の扱いなんだよね。本作ではアイルランドの伝統を破壊しようとするイギリス人が悪役になっている。それはつまり、キリスト教的価値観が悪となっているということ。だから、そういうキリスト教批判の描写が賞レースの投票に関わるような人たちに敬遠されるのではないかという恐れもある。
もっとも、最近の異常なポリコレの流れでいけば、キリスト教→白人→トランプと変換される可能性もあるので、その流れでいけばトランプ的思想の批判と解釈され、評価の対象になる可能性もあるかもしれない。
とりあえず、今後もカートゥーン・サルーンの新作は追っていきたいと思う。
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