マリウポリ 7日間の記録
ニュース番組やワイドショーの特集コーナーのVなら、現在進行中の案件の現時点で把握している情報のみで構成し、本当は良くない締め方ではあるが、今後の成り行きに注目するというコメントで終わることもある。
でも、ドキュメンタリー、特に劇場公開作品でそれをやってはいけないと思う。映画である以上は何らかの結末・結論を最後に提示すべきだと思う。
それは、これから起きる出来事のプレビューもしくはプロパガンダ的要素を持った作品でもそうだ。
たとえば、マイケル・ムーアの「華氏911」は2004年の大統領選挙を前に、同時多発テロやイラク戦争などが発生したブッシュ(息子)政権の約4年間を振り返り、このまま、ブッシュ政権でいいのかと訴えるものだ。
また、「華氏119」は2018年の中間選挙を前に、トランプ政権の約2年間を批判するとともに、トランプ政権を誕生させてしまったのは、高い理想を掲げながら、実際はそんなに効果がなかったオバマ前政権(当時)にも問題があったという主張だ。
2007年に公開された想田和弘の「選挙」は2005年の川崎市議会補選に自民党の落下傘候補として担ぎ出された山内和彦が自民の旧態依然とした選挙のやり方や思想に苦しめられながらも当選するまでを取材したものだ。しかし、同作の公開時期を見れば、訴えたいテーマは2007年の統一地方選挙であることは明白だ。それは、山内が2007年の川崎市議選には出馬しなかったからだ。
つまり、何らかの区切りがなければ、現在進行中の政治案件や国際情勢を題材にしたドキュメンタリー映画というのは作りにくいということだ。
本作で取り扱った2022年2月以降のロシアのウクライナ侵攻に関するドキュメンタリーであれば、ロシアもしくはウクライナが負けを認める、そうでなければ両者が停戦で合意する。あるいは、プーチン大統領が辞任するとか、暗殺されるといったようなことでも起きない限り、侵攻そのものをテーマにしたドキュメンタリーは作りにくいということだ。
せいぜい、2014年のクリミア侵攻を振り返ることで、現在の状況と重ね合わせるくらいがいいところだと思う。
なので、本作は市井の人々の日常を追った観察映画という手法が取られている。
ちなみに観察映画というのは、ナレーションもテロップもBGMも効果音もつけないドキュメンタリー映画のことだ。
勿論、再現ドラマや再現アニメといった手法を使ったり、データなどをグラフィック表示するのもダメだし、資料映像やイメージ映像を使うのもNGだ。至上主義者の中にはきちんとイスに座りピンマイクをつけて行うインタビューだって、そんなのは観察ではないと言う人もいるのでは?
要はドキュメンタリー映画の取材班が現場で撮った映像やコメントを加工せずに、そのまま流すのが観察映画ということだ。
ドキュメンタリー映画好きと主張する連中がマイケル・ムーア作品をドキュメンタリー扱いしないのは、音楽がガンガンかかるし、イメージ映像もバンバン使われているからだと思う。
至上主義者は「戦場でワルツを」や「FLEE フリー」といったアニメーションで再現した作品もドキュメンタリーと認めたがらないしね。
まぁ、本作が淡々とマリウポリ市民の戦火の中の日常生活を描くという構成になったのは、現在進行中のトピックを扱っているからという理由だけではないと思うけれどね。
本作を手掛けたリトアニア出身のマンタス・クヴェダラヴィチウス監督は取材中に拘束・殺害されたということだ。
取材した素材が7日分しかなかったのか、それともその中から区切りの良い7日分を切り取ったのかは知らないが、おそらく、監督が考えていた構成を100%、他のスタッフは把握できていなかっただろうから(何しろ、取材の途中で殺害されたから構成がかたまりきっていなかっただろうし)、とりあえず、撮影したものを時系列順に淡々と並べたものにしようとなったんだろうね。
ただ、遺体は映ってはいても、血みどろの顔とか吹っ飛んだ腕とかは見せていないし、建物に着弾する瞬間なども見せる気がないようだし(砲撃や爆撃の音は背後に聞こえているが)、登場人物の顔がアップになることもほとんどない。
おそらく、ロシア寄り、ウクライナ寄りを問わず、大手メディアが伝えない市井の人々の暮らしを見せようという狙いだから、ことさら、特定の人物にクローズアップした内容にはなっていないんだろうなとも思った。
ただ、終盤になって、市民の1人が“政権がまともになればなるほど生活は苦しくなる。旧ソ連時代の方がマシだった”と熱弁を奮っている場面や、市民が避難場所となっている教会から出ていくことを余儀なくされることが伝えられるくだりは淡々とはしていなかった。
おそらく、これが監督が伝えたかったメッセージなのだろう。
つまり、本作はウクライナ側が全て正しいと主張するゼレンスキー大統領や彼を支持する欧米諸国のプロパガンダでもなければ、陰謀論的な考えでロシア側の肩を持つものでもない。
ウクライナにもロシアにも問題があると主張する作品なんだと思う。
それなりの肩書きを持った人のインタビューなどをはさみこまずに淡々と戦火の中の市民生活を描く構成だからこそ、終盤に出てくる怒りの声が効いてくるんだろうなと思う。
市民が去り、当局もいなくなり、無人となった教会の映像が最後の方に映るが、あのカットは印象的だった。
映画としては決して面白いものではないが、ニュース素材としてはなかなか興味深いものだと思った。ぶっちゃけ、これにナレーションを入れて、もっと、尺を刈り込んで編集したら、ウクライナ側もしくはロシア側のプロパガンダになる恐れがあるからね。
※画像は公式HPより
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?