男たちの挽歌 4Kリマスター版
多分、この作品を見たのは高校生の頃にテレビの映画劇場で見て以来だ。
今ではこの手の作品がゴールデン(プライム)タイムに放送されるなんてまずありえないが、あの頃は色んな映画が放送されていたんだよね。
今は、放送されるのは自局案件か、劇場公開新作映画の関連作品(シリーズものなら前作とか)ばかりだし、そもそも、キー局のうち、ゴールデン(プライム)に映画枠を持っているのは日テレだけだしね。
当然、そんな久々の鑑賞なので、内容なんてほとんど覚えていなかった。
おそらく、当時はジョン・ウー監督の名前なんてきちんと認識していなかったと思う。主演のチョウ・ユンファは認識していたと思うが。
本作が日本公開された1987年というのは、ジャッキー・チェン人気にかげりが見えはじめていた頃だ。
1983年から85年までは、新作・日本公開が遅れた旧作・助演作品なのに主演のように偽って宣伝されて公開された作品合わせて、毎年4作品が劇場公開されていた。
このうち、83年8月公開の「カンニング・モンキー 天中拳」、同12月公開の「キャノンボール2」、84年2月公開の「プロジェクトA」、同12月公開の「スパルタンX」、85年12月公開の「ポリス・ストーリー 香港国際警察」が配収10億円を突破している。
当時は何故か、ヒットの目安を配収で発表していたが、だいたい、配収は興収(チケット売上)の6割程度と言われているから、現在の興収発表に換算すると16億円くらいって感じだろうか。
しかし、めぼしい旧作の日本公開は一通り済んでしまった1986年以降は公開本数も減り、それに伴って日本での興行成績も低下するようになってしまった。
86年公開作品で配収10億円を突破した作品はゼロ。87年は「プロジェクトA2 史上最大の標的」と「七福星」のシリーズもの2作品が何とか突破したが、「七福星」に関しては、テレビドラマ「あぶない刑事」の劇場版との2本立て公開であり、観客のほとんどが「あぶデカ」目当てだったと思われるので、これはカウントしない方がいいと思う。
この「七福星」以降、日本で配収10億円を突破したジャッキー映画は99年1月日本公開の米国作品「ラッシュアワー」までなかったのだから、「男たちの挽歌」が日本公開された頃というのが、ジャッキーブームが終わった頃だというのは理解してもらえるのではないだろうか。
当時、自分はジャッキーやジェット・リー(当時は日本でもリー・リンチェイ表記だったが)主演作品のように、身をはったアクロバティックなアクションや、武術の基礎を基にしたカンフーを披露するのが香港アクション映画だと思っていたので、正直なところ、ガン・アクション主体の本作はまがいものだと思っていた。
でも、今思うと、この「男たちの挽歌」って、その後の香港映画を変えた1本だったんだよね。
ハリウッドがスタローンやシュワちゃんのような肉体派でないブルース・ウィリス主演で「ダイ・ハード」を作り、それが、その後のハリウッド製アクション映画の主流になっていったように、香港アクション映画もアクロバティックなアクションやカンフーの要素を重要視しない作品が増えていったってことなのかな。
だから、ジャッキーは香港を飛び出して、世界各地を飛び回るインターナショナルな大作を作るようになっていったのだろうし、その一方で、ウォン・カーウァイやピーター・チャンのように、アクションでもコメディもないジャンルで活躍する監督も出やすくなってきたってことなんだろうね。
そして何よりも、本作がのちの映画界に与えた最も大きな影響として語っておくべきなのは、本作で一気に有名になったジョン・ウー監督の知名度を上昇させたことだと思う。
おぼろげな記憶だけれど、日本初公開当時はジョン・ウー監督ではなく、製作総指揮を務めたツイ・ハーク(香港のスピルバーグなどと呼ばれていた。監督作品のみならず、プロデュース作品でもヒットを連発していたところもスピルバーグっぽい)の名前の方がメディアに出ていたような気もするしね。
でも、今では香港映画とか中国映画に興味がない人でも名前くらいは知っているのはジョン・ウーの方だからね。まぁ、彼の名前がさらに有名になったのはハリウッド作品を手がけたことによるとは思うが。
1997年、香港が中国に返還されたが、これと前後して、香港で活躍していた映画人のハリウッド進出が相次いだ。
俳優では、ジャッキー・チェン、ジェット・リー、チョウ・ユンファ、ミシェル・ヨーなど実に多くのスターがハリウッド作品で活躍した。
でも、監督として成功を収めたと言えるのはジョン・ウー監督しかいない。
ハリウッド進出第2弾となった1996年の「ブロークン・アロー」とジャッキー主演の「レッド・ブロンクス」(こちらは米国を舞台にした作品だが香港映画。しかも、ロケ地はカナダ)が立て続けに全米興収ランキングでトップに立ったことから、香港勢のハリウッド“侵攻”の勢いを印象付けたほどだ。
でも、同じ香港映画出身の監督でもツイ・ハークやリンゴ・ラムはジョン・ウーのようにハリウッドで大成功を収めることはできなかった。
ジョン・ウー監督は、その後も「フェイス・オフ」や「M:i-2」などのハリウッド作品を手掛けたが、2000年代後半になると、活躍の場が中国映画界になってしまった。
個人的には「ミッション:インポッシブル」シリーズで一番面白いのは「M:i-2」だと思うが、シリーズのファンやトム・クルーズのファンには不評なんだよね…。まぁ、ジョン・ウー色が強すぎるから嫌われているんだろうね。
そして、その後の「ウインドトーカーズ 」、「ペイチェック 消された記憶」が興行的、批評的にパッとしなかったことから、「レッドクリフ」2部作以降は中国映画を撮るようになってしまった。2000年代後半になると、香港映画はかつてのようなパワーを失ってしまったし、かといって、ハリウッドでは制限が多いから、金がある中国映画界に媚びるようになったって感じなのかな?
自分は「レッドクリフ Part Ⅱ」公開時に監督に取材したことがある。その時に抱いた印象というのは、世界的巨匠というよりかは、気のいい町内会長、もしくは親戚のおっちゃんのように見えるというものだった。日本を含む東アジア地域のどこにでもいそうな人って感じだった。ちなみに、この感想はdisったのものではありません。
それにしても、久々に本作を見たが、長いこと、夜の街で車から登場人物の誰かが降りてくるようなシーンの記憶しかなかったが、ホーが台湾に取り引きに行った際に、地元警察がホーの乗っていた車のナンバーが気になり尾行していたという描写は既視感があったので、このシーンの記憶はどうやら、脳の片隅に残っていたようだ。
そして思った。チョウ・ユンファ主演作だと思っていたが、クレジット上は3番手だし、実際にストーリー上でもティ・ロン演じるホーが主人公で、2番手がレスリー・チャン演じる刑事の弟(亡くなって19年も経つのか…。そういえば、仕事で東京国際フォーラムの来日公演に行ったな…)、そして、その次がチョウ・ユンファ演じるホーの親友マークって感じだった。
まぁ、チョウ・ユンファがマッチをくわえながらタバコを吸うシーンはよく分からないけれどカッコいいよね。今だと、こういう描写はされないとは思うが。
それから、ガン・アクションのイメージが強かったけれど、意外とカンフーよりの肉弾戦も多かった。まぁ、過渡期だったんだろうね。
とはいえ、アクション・シーンはその後のジョン・ウー作品に連なる演出を至るところで見つけることができるので映画史的にも見ておくべき作品だと思う。
勿論、熱苦しいし、泣ける!
まぁ、東アジア人なら、こういう話は好きだよね。たとえ、極道者が好きではなくてもね。
というか、本作の主人公兄弟は、兄は極道、弟は刑事と真逆の道を歩んでいるが、捜査側と追われる側の対比って、のちの「インファナル・アフェア」3部作に影響を与えていたんだなと今になって気付いた。
というか、捜査側と追われる側の顔が入れ替わる「フェイス・オフ」や、主人公が特殊メイクで他人になりすます「M:i-2」といったジョン・ウー監督作品も本作のバリエーションだったのか…。
ところで、本作のエンド・クレジットって驚くほど短いな…。
ジャッキーは既に1983年度作品「プロジェクトA」でNG集付きのエンド・クレジットというスタイルを確立していたから(ジャッキー出演作品で最初にNG集が付いたのは1981年の米・香港合作「キャノンボール」)、香港映画界でもエンド・クレジットを付けるというのは普通のことになっていたと思うので、そう考えると、本作はそんなに予算がかけられていなかったってことなのかな?