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ハウス・オブ・グッチ

リドリー・スコット監督は2021年度に「最後の決闘裁判」と本作「ハウス・オブ・グッチ」という賞レース向きの作品を2本も発表してしまった(本作の日本公開は年が明けてからになってしまったが)。

巨匠と呼ばれるクラスの監督としては驚くほどのハイペースで作品を発表している。2000年以降の長編映画監督作品は17本もある。

MeToo運動の影響でほされてしまったにもかかわらず20本もあるウディ・アレンは小規模な作品が多いし、18本もあるクリント・イーストウッドは大作もある一方でこじんまりとした作品も多い。

大作の多い巨匠で比べると、マーティン・スコセッシは音楽ドキュメンタリーを除くと8本しかない。それでも巨匠クラスではかなり多いと言えると思う。

リドリー・スコットと同じように娯楽大作と賞レース向き映画がフィルモグラフィに入り混じっている多作の巨匠であるスティーブン・スピルバーグですら15本とわずかに下回っている。
ちなみに、他の同様のタイプの監督では、ロン・ハワードがドキュメンタリーを除くと13本、ロバート・ゼメキスがモーション・キャプチャーによるCGアニメーション作品を含めて10本といった感じだ。

ちなみに日本の巨匠・山田洋次はシネマ歌舞伎やドキュメンタリーを除くと14本だが、この中には「家族はつらいよ」シリーズのような大作ではない作品や、「お帰り寅さん」のような総集編的作品も含まれている。

そう考えると、いかにリドリー・スコットがハイペースで作品を世に送り出しているかが分かる。しかも、84歳なんだよね。クリント・イーストウッドや山田洋次、ウディ・アレンよりは若いけれど。

2021年度の2作品のここまでの賞レースにおける成績を振り返ってみると、「最後の決闘裁判」はナショナル・ボード・オブ・レビューでトップ10フィルムに選ばれた以外は大きな戦績をあげていない。
一方、本作はというと、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門主演女優賞にノミネートされるなど、レディー・ガガの演技は評価されているし、同じくミュージシャンであるジャレッド・レトもいくつかの賞で候補にあがっているが、作品自体に対する評価は低いようだ。

正直なところ、賞レース向けの作品を同じ年に2本出す戦略は失敗だったようにも思える。違う映画会社の作品だから仕方ないのかもしれないが、2年にわけた方が良かったような気もする。

ここからは主演のレディー・ガガについて触れていこう。

レディー・ガガが2011年にリリースしたアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』は日本でも大ヒットし、1stシングル“ボーン・ディス・ウェイ”は洋楽曲としては異例のBillboard JAPAN首位獲得曲となった。

しかし、日本での洋楽アーティスト人気というのは熱しやすく冷めやすいことが多く、その後のアルバムは洋楽としては売れている方だよねというレベルにとどまっている。

2018年の初主演映画「アリー/スター誕生」は日本での興収は15億円超だから、まぁ、ヒット作と呼んでいいのかも知れないが、全米アルバム・チャートで1位になったサントラ盤やそこからシングル・カットされて全米ナンバー1ヒットとなった“シャロウ”は日本では洋楽としてはヒットした方だよねというレベルで終わってしまった。米国では「アリー」をきっかけにガガ人気が再燃した部分もあったが、日本ではそこまでのブームにはなっていなかったと思う。

「アリー」が映画としてヒットしたのは、映画賞レースを賑わせていたことや、過去の「スター誕生」映画を知っているオールド・ファンが見比べに来てくれたこと、単に泣ける映画が好きな層が見てくれたなどといった要因の方が強く、ガガ人気によるものではなかったのかも知れない。

なので、賞レース争いで作品賞には絡んでいない本作「ハウス・オブ・グッチ」が日本で大きなヒットとならないのも当然といえば当然なのかもしれない。もっとも米国での興行成績も大成功とはいえないが。

作品自体についても語っておこう。

いくら問題を起こした創業家のメンバーは今はいないとはいえ、現存するブランドの過去の醜聞を描いた作品を企業名や個人名を実名で出したまま作るなんて日本ではできないよねと思った。

まぁ、創業家側は批判しているみたいだが。
そりゃ、そうだよね。創業者の血筋をひく者のみならず関係者はどいつもこいつもクソ野郎(女性を含む)として描かれているしね。
少なくとも冒頭では純朴そうで一番まともに見えたマウリツィオですら後半は金と女と権力におぼれた酷い奴になっていたからね。

ある意味、現在の運営側のプロモーション・ビデオと思えば、この内容も納得いくのかもしれない。ああしたクソどもと今のグッチは関係ないよってアピールなのかな?

ところで、音楽の使い方なんだが、所々、納得いかない点があった。パトリツィアとマウリツィオは70年代に結婚したのに、結婚式の場面で1987年にリリースされたジョージ・マイケル“FAITH”が使われているのは何故?

その一方で80年代のシーンでは、70年代末リリースのブロンディ“ハート・オブ・グラス”が使われている。逆じゃないか?

でも、ベッド・シーン(というか、F**Kシーン)で“乾杯の歌”を使っているのは面白かった。

それから、字幕で“Happy Birthday To You”が“誕生祝いの歌”と訳されていたのも違和感あったな…。カタカナ表記だと中黒を省いても“ハッピーバースデートゥユー”と文字数が多いからそうしたのかもしれないが、だったら、日本語歌詞バージョンの定訳タイトルになっている“お誕生日の歌”で良くないか?

それにしても、70年代から80年代の日本人は金持ちだったんだなというのが本作を見るとよく分かる。今、日本はネトウヨのせいで、というか小泉と竹中のせいで後進国になってしまったけれどね。

ガガのイタリアなまりの演技は良かった。そりゃ、賞レースを賑わせるわけだ。でも、ベッド・シーンは今のポリコレ視点だと不要だよね…。
だから、ガガの演技は評価されても、作品自体は評価されないんだろうな。

そうそう!あれがジャレッド・レトってのはビックリだよね。


《追記》
ところで本作を新宿バルト9で見たが、何か映像がカクカクしているように見えた。一般の観客は気付かないかもしれないが、自分のような映像関係の仕事をしている人間には、きちんとダウンロードされていない不完全な映像を見させられたようにしか思えなかった。
最近ここで、「マトリックス レザレクジョンズ」を見た時にも同じように感じたが、もしかすると新宿バルト9のデジタル上映システムが老朽化していて、本作や「マトリックス レザレクジョンズ」のような上映時間の長い作品=容量の大きい作品はうまく上映できないのでは?
素人は騙せても、プロが見るとおかしいぞ!

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