ファンタジア
本作を映画館で見るのは1990年のリバイバル上映以来だ。この時は、修復版での上映という触れ込みだったか、シャンゼリゼ(現在の丸の内TOEI2)で自分が見たバージョンは何故か画質の荒いものだった。
そして、1991年にビデオソフト化された際に購入したLDを見ると、修復版に携わったスタッフのクレジットが流れるエンドロールが付けられていた(昔の映画なので、そもそもエンドロールがないのが初公開時の本来の形)。なので、このリバイバル上映時に日本でかけられたバージョンは修復版ではなかったのではないかという疑念をいまだに持っている。それなら、映像が荒いのも納得できるし。
ところが、今回上映されたバージョンは90年上映版と同じエンドロールなしのものだった。しかし、見ていて色々と違和感を抱いた。
実写パートというか、楽曲解説がやけに長いんだよね。それから、ちょうど半分の4曲が終わったところで、“ここから15分の休憩です”と解説者がアナウンスするシーンが入っていたが、これは見た記憶がない。
多分、90年のリバイバル上映時に見たバージョンや、91年にビデオソフト化された際のバージョン以外にも、「ファンタジア」という作品には色々なバージョンがあるってことなのかな?
せっかく今回は、休憩告知のシーン入りのバージョンで上映したんだから、本当にインターミッションを入れればいいのにとは思ったかな。
ところで、自分は今回のリバイバル上映を松竹のシネコン・新宿ピカデリーで見たが、松竹はディズニーの最新長編アニメーション映画「ラーヤと龍の王国」の自社スクリーンでの上映は拒否しているのに、同じディズニーの「ファンタジア」は上映するって矛盾しているよね。
「ラーヤ」の上映を拒否した理由は、ディズニーが劇場公開初日と同日にディズニープラスでの配信を開始したことが映画館を軽視していると判断したことだったはず。
だったら、とっくの昔にビデオソフト化もされ、配信も行われている「ファンタジア」だって、上映拒否すべきなんじゃないのかなって思う。
また、観客に対しても疑問を抱いた。いくら、23区内の上映館が1日1回とか2回しか上映しないとはいえ、新宿ピカデリーの座席が結構埋まっていたということに驚いた。しかも、老若男女の観客が集まっている。同じディズニー映画なのに、新作の「ラーヤ」がガラガラで、再上映の「ファンタジア」が混んでいるって、どういうこと?
もしかすると、我々のような映画マニアではない一般観客にとってシネコンというのは、東宝・東映・松竹の邦画大手3社が運営するサイトのことであり、イオンとかユナイテッド・シネマなどはアウト・オブ・眼中なのではないかという気がしてきた。
だから、東宝・東映・松竹の邦画大手3社やそれに近い立場の興行会社が軒並み上映を拒否した「ラーヤ」の存在を一般観客は知らないのではないか?イオンやユナイテッド・シネマというのはサイト付近の住民か、見たい作品を求めてどこへでも見に行くようなマニアにとっては、選択肢の一つだけれど、一般観客にとっては、ハナから眼中にないってことのような気がしてきた。確かに、イオンやユナイテッド・シネマのシネコンが混んでいることって滅多にないしね。
去年の緊急事態宣言が明けて間もない頃、上映作品不足のため、本来ならミニシアター系で上映されるようなアート性の強い作品や旧作の再上映がシネコンで行われていたのも、これと同じで、結局、口では“ミニシアターを救え”とか言っていても、配給会社は本音では東宝・東映・松竹の劇場で上映されなければ利益が出ないと思っているってことだしね。
日本のディズニーは本国の方針通りに動かなくてはならないけれど、欧米とは違う日本のマーケットに合った公開の仕方をしたいと本音では思っているんだろうな…。本国と邦画大手3社系を中心とした日本の興行界との板挟みって感じでかわいそうだよね。
ところで、久々に「ファンタジア」を見た感想としては、“こんなもんだっけ?何かテンポ悪いな”ってのが正直なところかな。
「ファンタジア」は元祖MVともいえる作品だけれど、自分が前回に劇場で見てからの約30年、MVで使われる技術はどんどん進化しているから、物足りなく感じるのかもしれないな。
まぁ、最近、やたらと流行っているネット発ボカロ系アーティストのMVはアニメ仕立てのものが多いけれど、そういうアーティストのMVよりは遥かに優れた出来だとは思うけれどね。
あと、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートで、演奏の様子に風景とかバレエのパフォーマンス映像がインサートされるのって、「ファンタジア」の影響下にあるよねって思った。
ちなみに各エピソードで思ったことは以下の通り。
「トッカータとフーガ・ニ短調」
この曲といえば、「ファンタジア」か「幻魔大戦」を思い浮かべる。
「くるみ割り人形」
ディズニーは2018年に実写映画の「くるみ割り人形と秘密の王国」を製作しているけれど、よく考えたら同作は「ファンタジア」の一編の長編化ではないんだよね…。実写映画は原作のストーリーを基にしているけれど、「ファンタジア」では曲を使っただけだからね。
あと、「ホーム・アローン」を思い出す。まぁ、「くるみ割り人形」も「ホーム・アローン」もクリスマス・ストーリーだしね。
「魔法使いの弟子」
もっと、後半のクライマックスで登場するイメージがあったけれど、3曲目と意外と早めの登場だった。6曲目で登場する「ファンタジア2000」のイメージに引っ張られてしまっていたのか…。
そういえば、これはニコラス・ケイジ主演で無理矢理、実写映画化されたな…。
「春の祭典」
このエピソードで荒地を恐竜たちが進んでいくシーンって、スピルバーグ製作総指揮のアニメーション映画「リトルフットの大冒険 謎の恐竜大陸」に間違いなく影響を与えていると思うんだよね。スピルバーグはディズニー映画で育ったと公言しているし、同作のドン・ブルース監督はディズニーのアニメーター出身だから、可能性は高いと思うな。
「田園」
半人半馬の女性が上半身裸だったり、赤ちゃん姿の天使が裸だったりという描写を見ると、現在の若干行き過ぎた欧米のポリコレ基準では、そのうち修正されるのではないかという気もしてきた。
そういえば、「くるみ割り人形」の踊るキノコも釣り上がった細い目という描写だが、これもアジア人蔑視になるよね。
「時の踊り」
いかにもディズニー的な動物描写って感じかな。
「禿山の一夜」
コレは明らかに女性の乳首が描写されているから、そのうち修正されそうだよね。
「アヴェ・マリア」
最後にこれを聞くと癒される。
ところで、安倍マリオって言葉が五輪演出担当の“オリンピッグ”発言で再度クローズアップされたけれど、もしかすると、安倍マリオという言葉の元ネタって、アヴェ・マリアなのかな?
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