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ザ・ルーム・ネクスト・ドア
ペドロ・アルモドバル監督にとって初の台詞が英語の長編作品(短編では英語作品を発表済み)で、ベネチア国際映画祭の金獅子賞(最高賞)受賞作品ということで、米映画賞レースを席巻する作品になるのではと期待していたが、ゴールデン・グローブ賞はティルダ・スウィントンの女優賞ノミネートだけに終わったし、アカデミー賞に至ってはどの部門にもノミネートされていない。
一体どういうことなんだ?
米国では安楽死というテーマはキリスト教価値観から受け入れられないということなのだろうか。どんなに苦しんでいても、安楽死は殺人もしくは自殺である。どんな理由であれ他者の命を奪うことも自ら命を捨てることも罪であるという思想のせいで本作が評価されないのだろうか?
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本作のタイトルを直訳すれば、“隣の部屋”だ。
自分は正月休み明け間もない頃から4週間ほど自室の隣の部屋で寝たきり状態になった母親の看病・介護をしたせいで、自ら命を絶ちたい、あるいは母親と無●心●した方がいいのではという感情が巻き起こってしまった。
10分起きに呼び出され、そのたびに隣室に行くが、用件を聞きに行くと何も言わない、あるいは寝てしまっている。何か言ったとしても、つい先程飲んだばかりの薬とかお湯を飲ませろと言う。それの繰り返しだ。ロクに眠れない上に認知症的な症状から来る何を言っているか分からない言動ばかりで、心身ともに疲れ果ててしまった。
しかも、失禁してしまった糞尿や食べかすの悪臭が充満している。正直、これのせいで咳が止まらなくなってしまった。
今は入院させたので、睡眠時間も多少は確保できるようになったし、まだ、汚した衣類や布団の洗濯、部屋の掃除は終わってはいないものの、多少は片付けが進んでいるし、窓を開けて換気もできるようになったので悪臭も多少は減り、人間的な生活をできるようにはなりつつある。
そんな経験をしている最中なので、安楽死をテーマにした本作はかなり響いた。
病に冒されると中性的なルックスになるのはうちの母親と共通しているなと思った。
というか、台詞は英語でも中身はいつものペドロ・アルモドバル監督作品だった。
生と死、同性愛。大雑把に言ってしまえば、アルモドバル作品の2大命題を描いた作品だしね、本作も。
ただ一つ気になることがある。
スマホも出てくるし、ワイヤレスイヤホンも使われている。そして、パンデミック後という台詞が出てくる。
ということは本作は2020年代。というか、パンデミックが落ち着いたここ数年の話だ。
でも、ティルダ・スウィントン演じるがんに冒された女性はベトナム戦争末期にティーンエイジャーで出産したと言っている。
となると、作中の現在では70代ってこと?全然、70代には見えないのだが…。
ティルダ・スウィントンも彼女の安楽死に協力すするジュリアン・ムーアも実年齢は64歳だが、正直、60代の話にも見えない。2人の見た目が年齢不詳というのもあるのだろうが、まぁ、50代後半の話に思える…。
パンデミックと言えば、作中で“パンデミック以降、映画や音楽に対する興味が失せた”という台詞を発した登場人物がいたがこれには同意する。
まぁ、自分の場合は正確に言うと、映画のDVDやBlu-ray、音楽のCDを購入・所有することに対するこだわりがなくなったって感じではあるが。
映画のDVDやBlu-rayは全てブックオフに売り払ってしまった。CDも現在、断捨離中で、最も所有していた時期の3分の1くらいの枚数にまで今は減っている。できれば、年内には一部アイドルの作品以外は手放したいと思っている。
インボイスでCDやDVDなどを購入する金銭的余裕がなくなったというのもあるが、新型コロナの流行により、死を意識するようになったというのも大きな理由だと思う。
おそらく、病気の母親は死に近付いている。自分は独身だ。自分が死んだら、自分の所有物を相続する人間はいない。そう考えたら、CDやDVD、書籍なんて、タダのゴミだからね。自分が健康なうちに売り払って、インボイスや物価高で苦しくなった生活のたしにした方がいいって思う。