ザ・フラッシュ
やっぱり、マルチバースものって自分は苦手なんだなというのを改めて実感した。
最近のアメコミ映画はマーベルだろうと、DCだろうとマルチバースものばかりだし、アメコミ映画以外でもアカデミー作品賞を受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」もマルチバースものだ。
でも、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」以外の作品は(「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」は現時点では未見)、どれを見ても睡魔に襲われそうになったんだよね。「エブエブ」だってそうだ。
結局、マルチバースものって、同じようなシーンを何度も繰り返すし、闇世界のようなものを描くからどうしても色味が暗い場面が多い。だから、睡魔に襲われそうになるんだろうね。
そして思った。やたらと米国で本作が絶賛されているのって、「エブエブ」と同じで結局、ポリコレ要素なんだなと。
スーパーガールがミニスカート姿でなくパンツ姿である、というか、本来はスーパーガールであるはずのカーラが、カル=エルにかわって、実質的にスーパーマンになっているような描写があったからね。
勿論、ポリコレ要素が嫌いな人も、マイケル・キートン、ベン・アフレック、さらには、ジョージ・クルーニーのブルース・ウェイン(=バットマン、クルーニーはスーツ姿では出てこないが)まで出てくるし、ミニスカート・バージョンのスーパーガールもちらっとではあるが出てくる。さらに、アクアマンやワンダーウーマンなど最近のDC作品でおなじみのキャラも登場する。
また、別のバースに移行してしまったことにより実在の映画の内容も変わり、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズはマイケル・J・フォックスではなく、本来キャスティングされていたエリック・ストルツになっているなんていうネタは映画ファンならニヤリとしてしまう。
作品自体は面白くなくても、アメコミ関連、映画関連の小ネタが次から次へと投入されていれば、そりゃ、オタク心に火がつき高評価してしまうよねとも思う。
それから、本来の世界線では亡くなっている自分の親族と未来からやって来た自分が遭遇し、親族(本作ではフラッシュの母親)が自分の死と目の前にいるのが未来の息子であることを理解した上でハグするシーンなんて泣かずにはいられないからね。要は「ドラえもん」で言うところの、未来からやって来たのび太と祖母の邂逅シーンみたいなものだからね。まぁ、余程の冷血漢でもない限りはこのシーンを見てウルッと来るからね。
評価するポイントはポリコレなのか、小ネタなのか、感動路線なのかはさておき、どこかしら刺さるところはあるから酷評しにくい雰囲気はあると思う。
でも、映画としては非常に退屈な作品だと思う。DC作品ではまだ、この前の「シャザム!〜神々の怒り〜」の方が面白かったかな…。
とりあえず、ポリコレ要素が含まれている作品や小ネタ満載の作品って、「エブエブ」もそうだけれど、こういう作品を批判すると、“ネトウヨ老害だから良さが分からない”とか、“映画の知識がないor映画を見るセンスがないから面白さを理解できない”みたいに批判した者を攻撃してくる連中がわいてくるから厄介なんだよね…。
ところで、フラッシュって一人で何でもできる能力を持っているのに雑用係ポジションなのってなんなんだろうか?
あと、能力を使うのにエネルギー消費が激しいから大食いという設定は理解できるが、正義のヒーローなんだから、通行人におねだりしたり、通行人が食べようとしていたものを盗むのはダメでしょ!
それにしても、「フラッシュ」、「スパイダーバース」、「ハリケンジャー」など客層がかぶるような作品を同日公開にするって、日本の配給会社(外資系含む)は何を考えているんだろうかね?
「フラッシュ」も「スパイダーバース」も本国より遅れての日本公開だし、「ハリケンジャー」だってVシネマの先行上映なんだから、いくらでも前後にずらせる案件なのにね。
結局、国産アニメ映画の話題作や東宝の実写作品、数少ない一般受けするハリウッド映画なんかの公開日を避けると特定の日に集中してしまうってことなのかな?