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日本沈没2020 劇場編集版 シズマヌキボウ

深夜アニメの劇場版ではおなじみの総集編映画を配信アニメでもやってみましたって感じの作品。

まぁ、通常の深夜アニメの総集編映画は1クール12〜13話を2時間以内にまとめるというパターンが多いが(2クールを1本にした作品や、2クールを5本にする計画の「Gレコ」とか、1クール12話を2本にした「まどマギ」のような例外もある)、本作は全10話の配信作品を2時間30分超の総集編映画にしたものと若干、イレギュラーな作りになっている。

配信作品なので、テレビ放送枠を気にしなくていいことから、最終話は他のエピソードより尺が長くなっているという連ドラみたいなことをやっているが(連ドラは最終話よりも初回が長い方が多いが)、それでも、全10話の尺を合わせて、ダブっているオープニングやエンディングを削ったりすれば、だいたい3時間半くらいの作品だから、それを1時間程度しか削っていないというのは、通常1クール総尺4時間くらいのシリーズを半分くらいの尺にする総集編映画に比べると異例の長尺だ。

 ダイジェスト感を少なくする狙いというのもあるのだろうが、配信版が不評だったので、改めて世に出す機会を欲しかったってことなのかな?

「スタッフに中国人や韓国人の名前があるから、これは反日作品だ」なんて主張をする無知なネトウヨの意見は無視していいと思う。政治思想的の面ではネトウヨと親和性があっても、アニオタの多くにとって、日本のアニメに中国人や韓国人が関わっているのは周知のことであり、彼等がいなければ作品が完成しないのも分かっている。だから、そういうスタッフが参加した日本のアニメを反日作品なんて呼んだりはしない。そして、中国のアニメ映画「羅小黒戦記」が好意的に受け取られているように、政治は政治、エンタメはエンタメ、アニメはアニメと別腹で楽しんでいる人間が多い。自民支持なのにK-POP好きな若者、嫌韓なのに焼肉やキムチ鍋が好きな中高年と一緒。何でもかんでも一緒にするのはネトウヨをこじらせた老害だけだから、そういう連中の意見は無視していい。

 ただ、そうは言っても、作中の政治的メッセージに一貫性がないのも事実だった。拝外主義の批判や大麻容認、LGBTQや障害者の描写を見るとリベラル的、左翼的なのに、最終話では突然、安倍政権のスローガン“美しい国・日本”みたいな展開になってしまい、右からも左からも批判される内容になっていた。

まぁ、政治的な一貫性がないのは、いかにも日本のエンタメって感じではあるんだけれどね。サザンオールスターズは当時の安倍政権をはじめとする大国の首脳を批判した「ピースとハイライト」という楽曲を2013年にリリースしたが、この曲のカップリング曲「蛍」は典型的なネトウヨ思想の老害とも呼べる作家・百田尚樹原作の映画「永遠の0」の主題歌だからね。欧米のアーティストだったら、こんな組み合わせの曲を同時にリリースするなんてありえないしね。

そういう政治的論議よりも、本作が酷評された要因は、ツッコミどころ満載な展開が多かったことにあると思う。屈強な人物が唐突に死んだり、記念撮影をすると誰かがその直後に命を落としたり、第1話から主人公がケガをしているのは明らかなのに延々と放置していて、最終的には脚を切断することになるなんてのも酷い。主人公をパラリンピック出場のアスリートにするためのご都合主義でしかない。障害を利用するなって言いたくなる。先輩や弟の治療シーンはあったんだから、主人公だって治療できたはずなのにね。

そして、わざわざ3話にもわたって大麻パーティーを繰り広げる新興宗教集団を取り上げたのも意味不明。さらに終盤戦になって、いきなり主要キャラがラップ・バトルを展開するのも意味不明。そりゃ、酷評されるよって感じだった。

それから、ネトフリ作品ということで日本のスタジオの作品よりも予算が潤沢にあるはずなのに、止め画が多いし、シーンによっては、本当に同じ人物?って思うくらいキャラデザが崩壊しているってのも酷評された理由だと思う。

あと、日本のエンタメ作品では権利関係をクリアにする時間も金もないという理由で実在の企業名などがまがいものみたいな名称で出てくることが多いが、Googleはまがいものの名前に変えられているのに、アマゾンやスタバはそのまま出てくるというのも意味不明。だから、酷評されるのも仕方ない作品なんだと思う。

 で、この総集編映画でそうした問題点が解決されたかというと、そうでもなかった。というか、ご都合主義だらけというのが改めて実感できた。

都合よく、はぐれた仲間と再会したり、機材を見つけたりとかね。

あと、因果応報みたいなことを言いたいのかどうかは知らないが、同級生を見捨てたり、避難の旅の仲間に有毒ガスを吸わせてしまった贖罪として主人公の片脚を切断させたり、立入禁止区域で山芋掘りをした罰として父親が不発弾に巻き込まれて死亡したり、自己責任を主張する連中の方が危険な目にあったり、ネトウヨ思想全開の連中のフロートが座礁したりとか、そんなのばかり。思想の左右問わず、少しでも問題のある行動をした人間は代償を払うという展開はどうなんだろうかと思った。総集編としてまとめて見ると、しつこいくらい、そういうのが続くので、いい加減にしろって思った。自分は配信版では何日かに分けて見ていたから、そうは思わなかったけれど、一気に見た人はそう思ったんだろうなというのを痛感した。

あと、配信版にはネットでネタにされたていた、美味しいカレーの味の正体は“出汁”に大麻を使っていたからということが明かされる大爆笑シーンがあったが、今回の総集編ではカットされてしまっていた…。余程、ネットでネタにされたことを気にしていたんだね…。

にもかかわらず、その後、登場人物の1人が大麻を吸って、キメた状態でDJをするシーンは残っているんだから意味不明だよな。

まぁ、大麻という言葉は一切出てこなくなってはいるけれど、描写自体を全カットしたわけでもないんだから、中途半端だよね。

 それから、本編でカットされたシーンを終盤の回想シーンで入れるのはダメでしょ!

 そして、大麻カレーと並び、ネットでネタにされたシーンといえば、ラップ・バトルだが、こちらのシーンはカットされていなかった。そして、このシーンを改めて見て違和感の原因が分かった。

“○○があるのは日本だけ!さすが美しい国・日本!”みたいなことを主人公が言い出したことがきっかけでラップ・バトルが始まったのに、その主人公が“日本にも世界にも良いところはあるし、悪いところもある”なんてぬかして、話をまとめているんだよね。それ、お前が言うか?って感じ。

まぁ、あのシチュエーションでラップ・バトルをすること自体、意味不明だけれどね。

それにしても、総集編映画という配信されたものとは異なる形での上映とはいえ、ネトフリ作品がこれだけの規模で公開されるのは異例だな。

賞レースを賑わせているということで配信済みなのに劇場公開された「ROMA/ローマ」はミニシアター系の劇場やイオンのシネコンなどでの上映に限定されていたし、去年の秋から年末、そして、今年も秋から年末にかけて、賞レースを賑わせそうな作品を中心にネトフリ映画が劇場上映されているが、やはり、イオンのシネコンやアップリンクなどミニシアターでの上映が中心となっている。

コロナの影響で劇場公開を断念し、ネトフリ作品として世に出た「泣きたい私は猫をかぶる」は今秋やっと劇場公開されたが、やはり、ミニシアターでの上映が中心となっている。つまり、いずれのケースでも、東宝・東映・松竹の邦画大手3社の運営するシネコンでは上映されていなかった。邦画大手3社からすれば、配信は劇場から客を奪う敵という認識なんだろうと思う。

まぁ、これは仕方ないのかもしれないが。米国でも「トロールズ」の続編をコロナ禍では劇場公開しても想定していた利益が見込めないとして、劇場公開と同時に配信したところ、大手シネコンチェーンが反発したし(その後、和解し劇場公開作品の配信のルールが新たに作られた)、ディズニーの実写版「ムーラン」の劇場公開が見送られた際には、フランスの映画館のスタッフが激怒し、宣材を破壊したりもした。また、日本では「劇場」が劇場公開と同時に配信したために、映画扱いされない=賞レースで不利になるという問題も起きている。

まぁ、配信が映画館にやってくる観客を奪っている部分は多かれ少なかれあると思うので、映画館がそういう配信作品を敵だと思うのは当然といえば当然だと思う。

ところが、本作はネトフリ作品としては異例ともいえる規模での公開となっているし、しかも、TOHOシネマズでも上映されているんだよね。これには驚いた。まぁ、ネトフリで配信されているものとは異なるバージョンということで映画と見なしているのかな。あと、ネトフリの配給でなくエイベックスの配給になっているということで大手シネコンも受け入れやすいってことなのかな?

「泣きたい私は猫をかぶる」の劇場公開版でも、冒頭と最後にネトフリのロゴは出てこず、エンド・ロールにひっそりとin association with Netflixとクレジットされるだけだった。ネトフリの日本作品を劇場公開する場合には、そうしないといけない決まりでもあるのかな?国内の各種団体に映画扱いされてもらいための忖度?

 ところで入場料が特別料金の1800円となっているが、コレって一般料金で鑑賞する観客にとっては特別でもないし、それどころか、TOHOシネマズで鑑賞すれば、100円割引きになっているんだけれど…。学生料金の観客がターゲットだから、特別料金と主張しているってこと?

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