夏へのトンネル、さよならの出口
何故、9月になってからタイトルに“夏”が入っている作品を公開するのか理解できない。
アイドルなんかでも、秋になってから夏曲を収録したCDがリリースされることが多い。AKB48の新曲“久しぶりのリップグロス”は一般的には夏曲とカテゴライズされていて、MVも沖縄で撮影されているのに、CDは10月までリリースされない。
まぁ、夏曲に関しては今時、CDを中心にして考えることがおかしいわけで、CDは単なるグッズの一つと考えればそんなに問題はないと思う。
こうした楽曲の多くは夏の間にテレビ番組やライブイベントでの披露、MVの公開などは行われているしね(AKBの“リップグロス”も8月下旬にテレビ初披露となっている)。
でも、映画に関しては公開・配信日を迎えるまでは試写会などを除けば一般の目に触れる機会はないわけだから、やっぱり、季節感は大切にすべきだと思うんだよね。
洋画は諸事情があるから、本国で夏に公開された夏を描いた作品が日本では秋や冬公開になるのは仕方ないとしても、邦画はもう少し融通が効くはずなのにね。
しかも、今はシネコンでの公開が主流なんだから、劇場のスケジュールが空くのを待つ必要なんてない。
結局、こういう季節感を無視した公開になるのって映画会社の都合でしかないのでは?
劇場版「名探偵コナン」最新作がハロウィーンを題材にした作品なのに4月公開だったのは、通常、コナン映画は4月公開だから、内容に合わせて公開時期を変えたくないというだけの理由でしかないと思う。
本作が9月公開となっているのも、6月に「ドラゴンボール」、7月に「バズ・ライトイヤー(「トイ・ストーリー」シリーズのスピンオフ)、「ミニオンズ」、8月に「ONE PIECE」と夏の間に人気アニメ映画シリーズの最新作が公開されるから、その間に公開されても話題にならない。というか、上映スクリーンや上映回数が少なくなってしまう。だから、秋まで待とうという魂胆であろうことはミエミエだ。
せめて、8月最終週にでも公開してくれれば良かったのにね。
MVの題材が夏休みとなっている乃木坂46の最新シングル“好きというのはロックだぜ!”はギリギリ8月である31日にリリースしたんだから、そのくらいの努力はしてもいいのではないかと思った。
それにしても、「君の名は。」以降、テンプレ的な設定を継ぎ接ぎしただけのような劇場オリジナルのアニメ映画って本当、乱発されているよね…。
そうしたテンプレ系アニメ映画の基本設定はこんな感じだ。
●主人公は若者(本作のように高校生ものが一番多いが、中学生や小学生が主人公の場合もあるし、稀に大学生や新入社員のこともある)
●死生観の描写がある(あるいは病気とか障害)
●SF、ファンタジー、ホラー的な要素を含んでいる(夢や妄想の描写含む)
●メインキャラの担当声優が本業でない人中心となっている
●人気アーティストや注目の新鋭アーティストの楽曲をMVのように使う
といった感じだろうか。
でも、新海作品でもなく、細田作品でもなく、海外作品でもない、劇場オリジナルのアニメ映画ってほとんど当たらないんだよね(劇場オリジナル作品の続編やスピンオフも除く)。
コロナ禍になってからの公開作品で上記の条件に当てはまらない劇場オリジナル作品で興収10億円以上のヒット作になったのは、怪しい動員がかけられたとウワサされていた「プペル」だけだからね…。
当然、本作も大コケのにおいがプンプン漂っている。
まぁ、内容がデタラメもいいところだからね。亡くした者・なくした物と再会できるトンネル内のある地点を超えると携帯は通話もメールも通じなくなるはずなのに、何故か、主人公はヒロインからのメールを受け取っている。
というか、主人公はトンネルの奥深くまで進み、死んだ妹のいる世界で生活することを決意し(シスコンをこえた近親相姦的感情にしか見えないが)、携帯を投げ捨てたはずなのに、妹と暮らし始めた世界で携帯を持っているのは何故?
それから、トンネル内の時間経過と実際の世界の時間経過が違うという設定だが、これって計算あっているのか?
3連休中の実験で、わずかな滞在時間でも3連休がつぶれてしまうという描写があったのに、妹と2人だけの世界に結構な時間いたと推定される主人公が現実世界に戻ってきた時はたったの13年しか経っていなかったしね。
というか、この13年経って戻ってきたという展開にするために、主人公とヒロインが出会うシーンをガラケーの時代(作中の携帯画面によると2005年)にしているようだが、正直言って、その設定もほとんど効果がなかった。
まぁ、スマホとか地デジといった機器を除けば、日本は2000年代半ばから何も進化していない。というか、国力や国民の生活レベル、民度は低下しているから、別に2005年の風景と2018年の風景がほとんど同じでもおかしくはないのかも知れないが…。
それにしても、本作のメインキャスト2人(鈴鹿央士と飯豊まりえ)の演技は微妙だったな…。
飯豊まりえは「劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ」の時の声優演技は結構良かったんだけれど、今回はダメだね。
本業でない人が声優をやっただけで文句を言っている奴等はバカじゃないのかって個人的には思う。
こいつらは何故か声優がCDを出したり、ライブをすることは批判しないから、単なる自分のお気に入りのやることは全肯定し、そうでない人のやることは全否定するだけの自分勝手な連中なんだよね。要はネトウヨやパヨクと一緒。でも、そういう連中でなくても、本作のメイン2人の演技は否定したくなると思う。
あと、明らかに画と音声が合っていない。台詞のスピードと口が動くスピードが全然合っていない。日本のアニメは金がないからプレスコ方式での収録なんて滅多にないから、元々、画と音声は合っていないし、というか、音声収録時点で画が完成していないことも多いから、実際はプレスコみたいなものなのに、その収録済みの音声に合わせて映像を修正することもマレだ。
でも、声優もアニメーターもそれっぽく見えるようにうまくやっているんだよね。
ところが、本作ではそうしたごまかしの努力も全く感じることができない。
それに、上映時間がたったの1時間23分しかない作品なのに、途中であくびが出てしまった。
駄作と言わざるを得ないと思う。
まぁ、声を除けば、ヒロインのキャラデザや性格の設定は嫌いではないけれどね。
そういえば、入場者特典で後日談の短編小説をもらった。典型的な蛇足だった。