第37回東京国際映画祭 ウィメンズ・エンパワーメント部門「マイデゴル」
信者化した一部シネフィルや本音を言えない業界関係者を除いた一般の映画ファンの東京国際映画祭に対するイメージは、どこが国際映画祭なんだ?東京日本映画祭、せいぜい、東京アジア映画祭としか呼べないだろうといったところではないかと思う。
コンペティション部門の上映作品がたったの15本しかないのに(カンヌ、ベネチア、ベルリンの3大映画祭はいずれも20本以上)、毎年のように日本映画の上映作品が3本もあるのはどう考えてもバランスが悪い。
しかも、今年は中華圏の作品が5本もある(日本映画にカウントしている日本・台湾合作を除く)。
コンペティション部門の上映作品の過半数が東アジア映画の映画祭をどうやったら国際映画祭と呼べるのだろうか?
いくら、洋画に興味を持つ人が減り、それが興行成績に如実にあらわれている、いわゆる邦高洋低の状態になって久しいとはいえ、国際映画祭を名乗るイベントなのだから、東アジアだけでなく欧米を含む世界各地の映画をバランスよく上映すべきだと思う。
映画系メディアが業界内の力関係に怯え、あのキネマ旬報ですら、上映作品や来場者の邦画志向に関して否定的な意見をあまり述べないのだから、そりゃ、改善されるわけがない。
また、映画祭の信者と化したシネフィル的な映画ファンに、自分の好きな日本の俳優や監督の新作をいち早く見られる機会や、日本で一般公開される望みの薄いアジア映画を見られる貴重なチャンスを奪われたくないという理由で批判しないのが多いことも問題だ。
本当、コンペティションやガラ・セレクション(ちょっと前までは特別上映と呼ばれていたが、ハリウッド系作品の関係者の来日が減り、日本映画の上映が増えたから言い方を変えたのだろう)のラインナップはしょぼいし、日本映画やアニメーションに焦点を当てあてた部門なんかは、日本の観客から見ても海外の観客から見ても微妙なセレクションだ。
でも、社会的・政治的・経済的な作品を集めたワールド・フォーカスやアジアの未来といった部門はこの映画祭の数少ない良心の部分だと思う。
そうした良心的な部門の一つとして今回、新設されたのがウィメンズ・エンパワーメント部門だ。
その名から分かるように、女性の活躍をテーマにした作品や女性監督作品が集められている。名誉男性のような人種差別主義者の小池百合子が知事を務めている東京都と連携しているというのは欺瞞・偽善でしかないが、この部門の設立や上映作品自体については否定的にはなれない。
そんなわけでイランのドキュメンタリー「マイデゴル」を見た。かなり、しっかりと画が撮れているのでドキュメンタリーというよりかは再現ドラマを見ているような気分になるが、男尊女卑的な暴力が働かれているシーンは音声のみとなっているから、いわゆるヤラセの類ではないのだろうと思う。
内容自体もイラン当局にイチャモンをつけられないギリギリのラインを保ちつつ、欧米からイランのプロパガンダと言われないレベルにもなっている。イラン当局やイスラム勢力への批判的な視点もきちんと描いていて言い方は悪いがうまいなと思った。
そして、普段、日本の新聞やテレビでは伝えられないようなイラン社会も色々と知ることができた。
イランで生活する女性の中にはアフガニスタン出身の本作の“主人公”のようにイラン生まれでいない女性もいるということ。
そして、こうした女性はイラン、本国、どちらにいても女性という理由で居場所が限られていること。“主人公”はムエタイをやるくらい力があるのに、女性という理由で力仕事が必要な職場で雇ってもらえないという場面が冒頭にあったが、イスラム諸国では女性の活動が制限されているんだなというのが改めてよく分かった。
その一方で、イランの男が全て男尊女卑かと言うと、そうでもなく、“主人公”にムエタイを教えるトレーナーのような女性を蔑視しない人もいるということも知ることができた。
そういうイランの現状がよく学べた作品だった。
あと、イランでは戸籍的なものがいい加減で誕生日を元日にしている人がかなり多いということを知った。これは衝撃的だった。
そんなわけで、この作品は女性作品部門で上映するのにふさわしい1本だったのではないかと思う。