【新しい盆踊りの形】模索して試すことは間違いなのか?
こんにちは!
皆さん、今年はどれくらい盆踊りに参加できましたか?
私は、30ヶ所以上一ヶ月分くらい、沢山の場所で踊らせていただくことができました、高尾可奈子です!
さて、今回は、、
盆踊りのこれから、これまでの形はどう先へ繋がり、新しい形は果たして受け入れられるのかということについて、考えていきたいと思います。
まだまだ盆踊りは2シーズン経験したのみではありますが、ダンス歴は20年以上で、エンタメと舞台芸術の世界に生きている、その視点から深掘りしていきます!
盆踊りの界隈?業界?は、日本ではお馴染みの行事・イベントであり一般に広く開かれていながらも、携わる人口はあまり多くはなく、また地域によって年齢や性別の偏りもかなり大きい、ある意味で少しだけ特殊な世界なのかもしれません。
そして、現実として、ダンスや盆踊りを愛する人間としては苦しいところではありますが、、
盆踊りがおおまかに属する民俗芸能・伝統文化は、盛り上がりはあっても徐々に衰退していく流れにあります。
これは、記録に残された歴史が多く証明してきたことで、人間の文明の中では、古いものは新しいものに取って代わられて繁栄のために進化していくという普遍的な流れです。
それでも、盆踊りは1000年受け継がれ大衆に愛されてきましたから、今の正統派な形はしぶとく続くように感じます。
でも、今の正統派、伝統と呼ばれるスタイルも少し前の時代であれば伝統的でない新しいものとして一部から反発され抵抗を受けていたかもしれません。
盆踊りが含まれる民俗芸能は、日本の経済成長と共に全国的に定義が確立され、保存され、今では地方自治体などが観光産業として活用している事例も多くあります。
とはいっても、急速に変化する時代の流れでは、大衆の好みや社会の求めるものも大きく変わり、世代間のギャップは埋められないくらい広がっています。
今のまま全く変化せずに盆踊りが受け継がれていくことは、残念ながらほとんど不可能に近く、きっとこれまでの盆踊りのように変化して形が変わっていってこそ衰退の流れに耐えうるのかと考えます。
盆踊りは、海に漂う民俗芸能号、船の中にあるのかもしれません。
漂流しているだけでは、いずれは食糧が尽き、中にいる人は大変なことになってしまいます。
目的地を見つけ、進んでいくためには、船を動かすか船から脱出するか、あるいは漂流して流れのままにするかを、選択する必要があります。
船の中にいる皆が協力して力を出し合えば、大きな原動力となり舟は動き出します。
でも、現実に目を向けずに船の中で楽しむのは一番楽で、それが運命だと受け入れる姿勢もある意味では尊重されるものかもしれません。
しかし、進んでいこうと行動する人に対して、足を引っ張り邪魔をする場合、果たしてその行動は受け入れられるものでしょうか?
お互いの考えを尊重して、平和的な方法で話し合い、最善を見つけていこうという姿勢が理想のように感じます。
個人的な話にはなりますが、
今年から現代エンタメに振り切った盆踊りイベントにて櫓の上でダンサーとして踊るようになりました!
三大盆踊りや地域に根ざした盆踊りとは雰囲気が大きく異なり、魅せる楽しませるエンタメ要素が強く音楽フェスのようなノリノリな雰囲気です。
古典の定番盆踊り唄の振り付けも現代音楽に合わせて踊ったり、世代を超えてブームになったポップスや最新の曲、洋楽などで踊ります。
曲や踊りの振付にも新しさはありますが、それのみではなく、ステージ上のDJに合わせた特別セットリストを組んだり、櫓上でも外向きを正面にしてステージのように踊ったりと様々な新しい演出で盆踊りを踊っています!
盆踊りに馴染みのない若い世代にもささる形を模索しており、これまで長く盆踊りを見てきた世代の人々に向けても「盆踊りがこれからどこに向かっていくのか」を共通のテーマとして提起するきっかけにもなっているかもしれません。
そして、折角盆踊りを開催するのであれば、場を盛り上げたい、多くの人が楽しく調和して踊れる場を作りたい、その一部分として何か出来ることがあるならばやりたいと、願います。
そのためのアプローチとして、、
また一表現者として私が大切にする姿勢でもありますが、
「一瞬たりとも同じことをしない!」
こうした意識をもって日々歌い踊り生きています!
時間空間の変化は常に起こり、常に人間の身体は変化しているように、身体もドラマティックに変化させて表現してみる。
そうすることで、表現内容がたとえ同じことの繰り返しであったとしても、常に生き生きとあり続けることができて、そのエネルギーに観客や参加者も引き寄せられると思うのです。
踊りは他の表現とは根本的に大きく異なる部分があります。
それが、、
踊りは「他者に見てもらわなければ、他者からはないに等しい」ということ。
音楽であれば、その空気の振動が届く範囲にいる限りは、いやでも人間は知覚します。勝手に耳の器官から情報を受け取るイメージです。
しかし、身体表現の踊りとなると、目線を向けない限りは、踊る当人以外は踊りが起こっているということには気づきません。
ある意味では、それが踊り手目線での踊りの難しさ、大きな障壁なのかもしれませんね!
つまり、盆踊りもそうですが、広く踊りにとっては、、
「まずは見てもらうこと」
これが、まずは第一のきっかけとなるように思うのです。
(因みに、視覚性の高いSNSでのダンス動画発信は今は主流となりました。こちらもまずは見てもらうことが広がりのきっかけとなっていますよね!)
盆踊りの場合、ステージで披露されるダンスと比較すると、見るを目的にしている人がより少ないことでしょう。
盆踊りだけではなく、屋台や神輿などの祭りの一部として開催されることも多く、だからこそ、見る目的ではない周辺の人々からいかに踊りを目に留めてもらうか、そしてそこから踊りに加わってもらえるかが重要なのかもしれません。
ふと盆踊りに目に留めてもらって、何だか面白い!楽しそう!凄い!かっこいい!素敵!やってみたい!何だか不思議!笑える!意外!新しい!と心のどこかに触れるために。
そのために、生きた踊りをしたいと思います。
踊り方だけではなく、空間作りから曲の間の演出も含めた大きい視野をもって。
そして、試行錯誤するためには、間違いだと批判的になる視点ではなく、失敗を認めながらよりよく改善していける環境も必要だと感じます。
これまでの盆踊りを尊重しながら、同時に色々試しながら可能性を探っていく。その中で、全てが成功することはなく、むしろ失敗の方が多いかもしれません。
しかし、その失敗を取り上げて盆踊りへの理解のなさが原因だと批判的に後ろ向きになる前に、行動する姿勢は認めながら、その間違いをどう次に生かせるかを共に考えていければ、、
盆踊りは若い次の世代にとってもより魅力的なものへと前進していきそうだなと思っています。
きっと私自身も失敗を沢山繰り返しながら、盆踊りに取り組んでいくことになりそうです!
盆踊り好きの皆さんには、これまでの失敗談を是非教えていただきたいなと思います!
色んな盆踊りについての好きなところや価値観なども教えて下さいね!
来年の盆踊りシーズンは、さらに素敵な盆踊りに出会えること、またその一員として盆踊り手として進化できていることを願って、、