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【盆踊り考察】お盆とは?とことん掘り下げ!


〈参考書籍〉
お盆のはなし(法蔵館 蒲池勢至著)
民俗学がわかる事典(角川ソフィア文庫 新谷尚紀著)
古典芸能てんこ盛り(淡交社 中村雅之)




お盆って、いつあるの?


東日本では七月、西日本では八月に行われることが多い。

明治の改暦で、旧暦明治五年十二月三日を新暦明治六年一月一日と改めたことに起因する。
七月盆と八月盆がある。

一般のお盆休みは、八月十三日あたり。地方で多い。
お盆は、十五日を中心にして一日から二十四日までを期間とした一連の行事。

お盆は、旧暦七月の満月に照らされる初秋行事。
旧暦七月十五日と一月十五日は満月で、日本人にとって年神や先祖を迎える魂祭りの時だった。




お盆の由来とは


仏教行事の典拠となる経典である、
中国の竺法護が翻訳した「仏教盂蘭盆(うらぼん)経」からきている。

ここには、七月十五日の僧安居の最終日に盂蘭盆、ご馳走を盛り、多くの衆僧に施すことで、父母や先祖が福楽を受けられる、とある。


他に、ホカイ・ホトキ(盆・缶・行器)と呼ばれる容器に食物を入れて神霊に供えた行事からきたという説もある。これが、ホトケ(仏)の語源であるという説も。中世まで盆という漢字は使われていなかった。


⭐︎七月十五日に祖霊が帰ってくるという民間の信仰と、仏教の盂蘭盆経が集合したのが盆。



盆行事ってどういうもの?


奈良時代中期に、仏教は、ホトケ(死者、先祖)を祀る祖霊信仰と習合して日本に広まり、その行事が盆である。この時に、ホトケは仏と重なりあい死者を意味するようになった。

すなわち、盆行事は完全に仏教行事でもなく、民間の先祖祭りという祖霊信仰の意味も含まれている。家や地域主体。

平安時代は、貴族中心に拝瓫の行事が行われた。

鎌倉時代から、万灯、墓参や風流踊りがあらわれてくる。十五世紀にはさらに賑やかに。中世は戦乱時代で、死者数も多かった。
近世より前は、仏壇が成立前で民間の寺院、棚経もないため、庶民にとっては華やかな灯籠を中心に念仏を唱え踊ることが死者に対する供養だった。


江戸時代から、現在の盆行事がみられる。


⭐︎子供たちによる万灯や火祭り、精霊送りの習わしが全国にみられる。
北海道一円は、盆は七夕と重なっており、集団で各家を回ってローソクをもらい歩く「ローソンもらい」が文化としてある。


⭐︎沖縄本島では、旧暦七月盆前後に豊饒感謝と祈願を目的としたウンジャミとシヌグという年中行事がある。魚取りなどの物真似儀礼を行い、村の外のまれびと神を祈願する。


⭐︎江戸から明治にかけて、竹竿の先に提灯をつけて高く掲げ、夜の姿から星提灯と呼ばれた


精霊の迎え方、送り方とは



やってくる先祖の精霊を迎え送るのに、迎え火と送り火を焚くのは、現在でもみられる。


精霊を送る方法は、川や海に流す(供物や船)、火を焚く(長野県新野の、踊り神送りで踊りのあと焼き払う灯籠)の二つの方法がある。


無縁仏などが土地と結びついているという霊魂観念は古いものであり、念仏を供養のため、鎮め送る鎮送呪術として唱えてた。



正月と共通点が多い


一年両分性説
平安時代の宮廷行事など、古くから半年単位の繰り返しの行事構成がみられた。

臨時の神棚・仏壇、門付けとイキミタマ、迎え送り火と松明や大文字焼きなど。



沖縄の盆踊り、エイサー



旧暦盆に、どの町村でも盛大に、若者が大太鼓や締め太鼓を手にして、さまざまな民謡曲に合わせて勇壮に舞い踊り、村や町を練り歩く。
女性手踊りの輪踊りエイサー、男女手踊りの輪踊りエイサー、男性太鼓に女性手踊りの隊列踊り、男性片面太鼓に男女手踊りの隊列踊りがある。
現在は太鼓中心の形になった。


本土のバレエくらい、琉球舞踊はメジャーな女の子の習い事になっている。

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