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【文化が古典となると起こる?】盆踊りの芸能化?!


参考著書
⭐︎民俗芸能研究という神話/森話社/橋本裕之
⭐︎暴れ牛と神さびる熊 供養と霊送りの民俗誌/国書刊行会/星野紘
⭐︎踊り念仏/平凡社/五来重
⭐︎民俗芸能の伝承活動と地域生活/農文協/澁谷美紀


明治以降の近代化による民俗芸能誕生


それまで各地域であまり知られず保存・継承されてきた文化が、急速に全国に広まり認知されることで芸能化した。

その要因
①鉄道や移動手段の発達、旅行ブーム
②雑誌や書籍、さらに郵便や通信による文字記録による認識・分類
③大正14年の日本青年館での郷土舞踊と民謡の会の催しのスタート


民俗芸能を定義してきた人は、文字を使える知識階級の人々であり、実際に民俗文化を担う村の日常生活に根ざした階層の人々とは異なる人だったため、認識共有には限界があった。



明治後期から今日までの時代の変遷状況が三つの呼称の出現に反映されている。
1950年の文化財保護法から90年頃からの農村活性化事業へ転換。保存から活用へ。
①郷土芸能
西洋文明による近代都市化社会で、都心部に移住した人々が故郷の農山漁村を憧憬する意識が含まれる。
②民俗芸能
第二次大戦後盛んになった民俗学研究に合わせて採用された。歴史性や芸術性など学術的価値と、そこに連携した無形文化財としての価値評価が含まれる。
③地域伝統芸能
高度経済成長期を経過して後、経済利益追求として神楽や盆踊りなどむらの伝統的歌と踊りを対象化した。観光や商工業の振興対象・資源として。


伝承者や団体、地域住民は、国や専門家といった外部からの価値観や動きとは切り離せない関係にある。農業地域の都市化・現代生活様式化、信仰心の希薄化や娯楽の多様化、過疎高齢化などの要因がある。
今日のほとんどの伝承地では保存会名称で伝承活動を担う団体を組織しており、各団体は住民自立型・少数関与型・交流連携型に分類できる。


東本願寺盆踊り


はじまりとなった踊り念仏とは?


⭐︎踊念仏や盆踊りの恋歌は、亡き霊への恋情と哀愁を歌い向い送る歌が多い。これは、歌舞伎踊りのしのびおどりと共通する。また、神踊をするときには祝歌、宮や家屋へ踊り込むときに褒める祝儀歌も多い。


⭐︎中世では、曲舞の地獄語りは大念仏会の踊念仏で救済される。これがお国歌舞伎では近世的発想により、派手な装束で陽気な連舞となり、現世の快楽で済度されるとなった。
元来、踊念仏はナムアミダブッの6文字に節をつけた詠唱念仏を歌いながら踊るものだったが、風流大念仏として世俗化するにつれて、そこに小歌をのせるようになった。最後にはリフレインのみで残り、消えていった。


⭐︎曲舞は寺社縁起や地獄語りをする点で、出雲大社の勧進巫女のお国の芸に影響をあたえ、小歌も亡霊鎮魂の大念仏とむすんで、小歌念仏となった。訛りの強い中世の曲舞のクセは謡曲のなかへ、祭文や浪花節、浪曲へと続く。やわらいだ小歌は、小唄、長唄、俗曲へ。対照的に声明調の強い説経は浄瑠璃へ、操り人形や歌舞伎へ結合した。


⭐︎お国の歌念仏では、亡霊を呼び出す巫女は手に笹や薄をもち、呼び出した亡霊の憑依を狂うことで表現する。踊念仏にはゆるいテンポの曲と狂躁的な曲があり、前者で霊を呼び出し、憑けば狂い踊る。


⭐︎融通念仏(念仏大合唱により功徳増大、全ての人の往生を可能とする)と踊念仏は、鎌倉時代中頃から大念仏となり結合し、民衆は熱狂し全国へ広まる。


⭐︎うたう念仏の六斎念仏では、中国由来の五会念仏のように、浄土の水鳥樹林を表現する音楽であり合唱曲であり発声の高低と緩急が次第に変わる変化がみられる。詠唱念仏は、かなり曲譜が複雑なため、堂僧により専門化されていた。東本願寺の阪東節という踊念仏。六斎念仏は現在では、近畿地方から若狭に多い。荘重で儀式的な「四遍」、亡霊を早く送り出すためのアレグロで葬送行進曲的な「白舞」、軽快な舞踊曲の「阪東」。盆踊りの「セッセ踊」「ヤッチョン踊」につながる。阿呆踊や馬鹿踊、三原やっさのようなヤッサ系、かつての住吉踊は願人坊踊であり、拍子は詠唱六斎念仏の阪東からきている。


⭐︎疫病や飢餓が蔓延する時代に空也は乱舞的な念仏をすすめた。空也の子孫の空也僧は、京都で毎年10月13日の空也忌に踊念仏=歓喜踊躍念仏を行う。太鼓や瓢箪(ひょうたん)が伝承されており、今では太鼓踊系の風流念仏踊や踊念仏系にみられる。踊念仏は空也僧により全国へ広がり、地芝居化して芸能の道を辿る。



⭐︎全国のほとんどの踊念仏では、踊り手は旅姿をする。一つは、念仏聖、遊行聖などが遊行で土地の亡魂のために大念仏会を催し、村人に踊念仏を教えた残存。もう一つは、踊り手はこの世にはるばる戻ってきた精霊であり、供養を受けて踊りながら戻っていく長い旅人であるため、死者のユニフォームである顔を隠す笠と蓑をつけている。


新宿花園町会納涼盆踊り


芸能への昇華


⭐︎念仏の芸能は詠唱と踊りと狂言で構成されていたが、現在は他は衰え、踊りのみがさまざまに形を変えて残った。


⭐︎盆踊りは、天に憧れ、霊の浄化を求めながら、同時に原始的な乱婚を再現した二重性がある。それを仏教の大念仏という音楽・舞踊の芸能によって昇華しようとした。儀式としての踊念仏の合間には盆踊りをともなうが、大部分の儀式的踊念仏や歌念仏は忘れ去られた。


⭐︎各地の大念仏の伝承と同じで、踊念仏は、疫癘の流行を古戦場の亡魂の祟りとして、鎮魂するため行われる。これがお盆に帰る亡魂のための供養踊となっても、鎮魂のための棒や剣や長刀を振る咒術の道具と型が残った。


⭐︎能の修羅物に多い「負修羅」は実盛の亡霊のように、三途流転の苦悩を念仏の救済にもとめ、戦闘の有様を表現する点で、踊念仏と同じ庶民信仰に源泉をもつことを示している。



⭐︎民俗芸能は祭りに起源を持つ。神の祝福により村や家に神の威力が及ぶことを祈願する目的で、ハレの日に宴会を催し、村人は扮装して訪れる神を演じた。その所作が定着・習慣化すると、洗練され芸能としての性格を帯びてくるようになった。しかし現在では、祭り以外でも様々な場所や時間の上演機会を持つ。


新宿花園町会納涼盆踊り



原型や本質を重視する、伝承の理論


⭐︎民俗芸能の伝承は、踊りや囃子、衣装や採り物の形態・構成を集団的身体化された記憶として保持して、上演を通して想起することで可能となる。


⭐︎民俗芸能上演には、観客が存在する。そこへのアピールと、元々の儀礼本来の形や精神を大切にする動きは、対極する。芸能を洗練させる動きと野暮で素朴で粗野な部分を含む原型や本質の保持という相反する上に民俗芸能はある。

例えば、岩手県三陸町のある念仏剣舞の保存会の考え方としては、伝承とは形を変えないこと、演者全体が原型を習得し一人一人がその記憶を保持することにあると考えられている。そのため、世代交代の際に新たに編成された舞台踊りは、原型や本質の堅持に矛盾しないとされる。この守るという解釈の多様性を逆手に、先祖供養精神を表すだけでなく、外部者へアピールし後継者育成のために原型や本質を堅持しようとした。



⭐︎岩手県遠野市のある早池峰神楽では、伝承のため積極的に舞を開放し、時間的労力的に参加困難な旧住民は祭祀を執行するまでで、代わりに1990年あたりから自治組織主導の文化・スポーツ活動や有志によるグリーンツーリズムなどの地域活性化活動により来た、Iターン者が演者として舞っている。棲み分けの構図は、伝統ある神楽を次世代に伝えるために地元後継者が育つ間を乗り切る戦略である。



⭐︎各地域の民俗芸能は、実際の活動の実態とは繋がらない、汎用性の高い「ふるさとの文化的財産を守る」「原型・本質を堅持する」「1000年の伝統を守る」という大義名分をもつことで、住民個々の考えや立場を超えて活動を共通理解・合意する役割を果たしている。伝承活動の戦略と大義名分の選択の行為に、住民の主体性が発揮される。


新宿花園町会納涼盆踊り

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