【盆踊りの祈り】日本的神様とは?
多様な神的なもの
⭐︎氏神(うじがみ)
①村氏神
村の守り神で地域の守護神、全国の八幡神社や日吉神社、浅間神社や氷川神社など。
②屋敷氏神
家屋敷の守り神で藁や石でできた小さな祠に御幣を建てたようなもの
屋内の場合は、庭に面した二部屋はハレの儀式の非現実的空間に使われて、中央神的性格を持つため男性が祭り、他の二部屋は勝手に立ち入れない私的空間で日常生活がいとなわれるため、精霊的な神々を女性が祭る。
③一門氏神
本家中心の同族が社や祠をまつるもの
五穀豊穣、お宮参り、厄除け、病気回復祈願、武運長久など様々なご利益があるとされた。
⭐︎山の神、田の神
山で狩猟や伐採、焼畑耕作などに従事した人々は、山の神を特に恐れ信じた。
稲作農民にとっては、山の神は春の稲作開始時期に山から下って田の神となり、豊作に導くとする信仰がみられた。
山岳信仰は、山々が天に近いことから神が降臨する霊場であり、食生活の根源である米をつくる水の源流であることから水分神とも考えられた。大陸文化の宗教が融合され、自然回帰の厳しい苦行を行う修験道が誕生した。
⭐︎道祖神
村境の道路端に立つ石像や、安置される藁人形の神様。
近親婚の禁忌を犯した兄妹の男女双体像で、人々を病気にする帳面を持つため、焼くことで無病息災を祈る。
日本人は古くから石そのものに神秘の力を認め石神を信仰した。他に塞の神、石棒、磐座など。
⭐︎漁村の神様
港の入り口、浜辺の片隅、岬の先端などに、海の石や死人、クジラ、イルカ、女性の髪神体としてを祀り、祠や祭壇を建てた。エビス、リュウジン、ベンテン、コンピラなどと呼ばれる。
⭐︎商家や職人の神様
エビス・大黒は、京都の豪商では屋敷神として、都市部では商売繁盛の神として信仰されている。
弁天様は、銭をそこの水で洗うとお金が増えるというご利益の信仰。
鍛治師、鋳物師は金屋子神
大工、左官は聖徳太子
杜氏や造り酒屋は酒の神
馬を扱う人は馬頭観音など職種によって色々な神を祀っている。
決まった日に立つ市では、商取引の平穏無事を守護し、集まる人に幸をもたらす市神がまつられている。
企業では、ビルの一角や屋上に小祠をまつることも。
⭐︎仏様
仏教では十万世界(東、西、南、北、東南、西南、東北、西北、上下方)に仏が仏国土をもっているとされ、その仏の守護仏もいる。
釈迦は、その誕生の春頃に団子や花で祝った。
阿弥陀如来は、十夜法要、融通念仏宗、葬送儀礼に関わる。
観音菩薩は、身を変化させ衆生に法を説き救済してくれるとされ、参拝が盛ん。
地蔵菩薩は、廻り地蔵として家々で仏像を回すことも。八月二十四日の地蔵盆は近畿地方で盛ん。
⭐︎檀家制度
江戸時代にかけて村々に石塔の墓地ができて、寺に墓を作って寺墓にするなど、墓と寺の結びつきが一般化。寺が檀家として一切の葬祭を行う寺請制度が出来始め、戸籍の役割としても各藩ごとに身分と旦那寺を記した帳面を作成した。
⭐︎神仏習合演劇である能
世阿弥が完成させた複式夢幻能では、「ワキ」を務めるのは仏者の諸国一見の僧、そして心の闇を表す「シテ」は神や霊や死者である。神道祭祀における祟りと鎮魂、仏教修法における苦縁と供養が融合補完し合っている。
神霊をもてなす祭り
⭐︎日本の伝統的祭りは、農耕社会が基本であったために、農耕の進展に応じて執り行われるものが多い。
春祭りは、正月や農耕開始時期に豊作を祈念する。
夏祭りは、疫病や水害など自然災害を起こす悪霊を鎮める、風流で見せ場も多い。
秋祭りは、春祭りと対応して、作物の捻りを感謝する。
冬祭りは、大師講や冬至に弱まる太陽を復活、新たな魂をもたらそうと、火を焚くものが多い。
⭐︎神と交流する非日常の神事では、競争・賭・仮装・陶酔といった遊びの要素が重要。村や都市での異なる価値観の人々の共存の具合によって適した神事が行われた。競船、競馬、的射神事、闘鶏、綱引き、相撲など。
⭐︎沖縄では、姉妹が兄弟を霊的に守護するというオナリ信仰があった。村や国家レベルで、村の草分け宗家当主のちの按司が政治的権力を、その姉妹ノロが宗教上の権力をもって存在した。女性中心に、ユタという神懸かりになって神や霊魂と交流できる呪術・宗教的職能者がいた。
久高島、女性が村落の祭祀組織に加入するためのイニシエーション儀式のイザイホー。
祖霊神を祭る、神女集団による秘祭、ウヤガン祭り。
⭐︎母を探し泣き叫び破壊行為をするスサノヲに怒り悲しんだ天照大御神は、天の岩屋戸に籠ったため、世界は闇になり災いと危機が襲った。それを解決するため神々は自ら「祭り」を行い歌と舞踊を行ったのが、後の「神楽」となる。芸能のはじまりとされる。死と再生、鎮魂劇が核の能も、日本独特の神事芸能的心身変容技法である。
⭐︎アイヌや西シベリアハンテなどの狩猟地帯にみられる、熊祭り。動物自体が狩猟され祀られ歌や踊りやごちそうでもてなす構造で、動物が霊的存在に転生していく。神への犠というより、熊などは自身の一生を振り返る演じる主体であり、代役として人間が演じている。他に神霊や人間界の芸人が演目を披露する。生活に不可欠な動物への丁寧な心配りの感覚がある。
一方農耕地帯では、春に日本の田遊びの中などで暴れ牛の演目がある。田の神水の神への犠でもあり、豊穣の象徴的表現であり、牛の肉体を一種霊的なものとみなしている。ユーラシア東から西の広域に類似のものが見られ、紀元前700年ギリシャでも見られる。