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【学び備忘録】独裁は悪なのか?

「独裁は戦争を引き起こす」は正しいか?

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この国旗を見てどこの国か当てられる方は、なかなかの旅行好きか、国マニアかもしれない。ヨーロッパの小国・リヒテンシュタイン公国の国旗だ(写真はwikipediaより)。スイスとオーストリアの国境沿いにある立憲君主国。

人口は約3万4000人、国土の大きさは日本の小豆島と同じくらいの大きさだ。住民の大部分はドイツ系で、公用語はドイツ語となっている。この小国も、何度か存立の危機を迎えたが、最大の危機はナチス・ドイツの圧迫が強まった時だろう。

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1933年、アドルフ・ヒトラーはドイツのヴァイマル共和政の下で首相に任命された(写真はアドルフ・ヒトラー。wikipediaより)。同年には全権委任法(授権法)が成立、ナチスによる独裁体制が着々と成立しつつあった。

よく「ナチスは合法的に権力を掌握した」と語られることが多いが、この記事で歴史学者の石田勇治先生が指摘するように、その権力掌握過程は決して民主的なものではない。全権委任法の制定のために、国会炎上事件を利用して共産党の全国会議員(と一部の社会民主党議員)を逮捕し、社会民主党の「欠席戦術」を防ぐため、議長が認めない事由の欠席は出席とみなすという「議院運営規則改正案」を直前に国会に提出して、賛成多数で通過させている。決して、民主主義がヒトラーを生み出したのではないのだ。

石田先生の『ヒトラーとナチ・ドイツ』は、ヒトラーやナチスの権力掌握過程がわかりやすくわかる名著なので、詳しく知りたい方はこちらがおすすめだ。

話を戻そう。ドイツでのヒトラー政権の誕生に伴い、同国でも親ナチス勢力が台頭した。事実同じドイツ語系のオーストリアは1938年に、オーストリア・ナチス党の蠢動とドイツの軍事的圧力のもと、ドイツに併合された。同じくドイツ語系住民が多いスイスでも、親ナチス勢力の台頭が著しかった。

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ドイツとの合邦を問う国民投票用紙(写真はwikipediaより)。同じくwikipediaより翻訳を引用する。

「あなたは1938年3月13日に制定されたオーストリアとドイツ国の再統一に賛成し、我々の指導者アドルフ・ヒトラーの党へ賛成の票を投ずるか」とある。中央の目立つ記入欄の上に「はい」、右端の小さな記入欄の上に「いいえ」とある

当然、ドイツ語系住民がほとんどのリヒテンシュタインでも、ナチス・ドイツ政権誕生時には、親ナチス勢力が勢いを増してきた。その時、時のリヒテンシュタイン公・フランツ・ヨーゼフ2世は決定を下す。君主大権を行使して総選挙を無期限延期としたのだ。さらに強権を発動し、リヒテンシュタインがナチズム化(人々を扇動する集会の禁止、ナチスの制服着用禁止等)するのを未然に防いだ(日本語の記事がほとんどなかったので、内容をwikipediaに頼ってしまったことを記しておく)。

フランツ・ヨーゼフ2世

当時のリヒテンシュタイン公・フランツ・ヨーゼフ2世(写真はwikipediaより)。

リヒテンシュタインはこの強権発動によって、第二次世界大戦でも中立を保ち、対戦中も併合されることがなかった。リヒテンシュタインは「君主の独裁権によって戦争の惨禍を免れた」ともいうことができる。

コロナ対策への強権発動を求める声

何回か前の記事で、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に関する記事を書いた。ここでの結論はいたってシンプルで、「日本は諸外国のように罰則や禁錮といった刑罰付きの外出禁止令などを出す法制度は整っていない」というものだ。

参考までに外国の事例比較を上に乗せた。日本はこの非常事態に際し、「自粛要請」という形でしか対応ができない。それでもなお、諸外国並みの外出禁止令を求める声はそれなりに存在する(ような気が、あくまで僕はする)。また少しでも外国事情に通じた人は「外国ではこんなに素早く対応がなされているのに、日本では〜」という形で批判する声もよく目にする。

しかし、現状法整備が追いついていない以上、法令に従う形で外出禁止令のような強い縛りをかけることはできない。だが、一部の人は安倍政権の対応の遅さ非難している。別に政権を擁護するつもりはないが、「スピード感のある対応を政府がするということは、政府に強力な権限が存在する」ということである(無論、非常時にのみそうした権限が与えられるようになっているのか、中国のように常時強力な権限があるかの違いはあるが)。

このWIRED.jpの記事にもある通り、中国は政府主導で全面休校や都市封鎖といった強硬策でコロナウイルスの封じ込めを行い、WHOの調査団もその効果を認めているという。政府対応の遅さを非難する人は、仮に現政権に「covid-19の感染拡大を防ぐ」ための強大な権限を付与するかどうかの選択を迫られたら、賛成するのだろうか?(批判しているわけではなく、興味があるのだ)

独裁反対のデモ行進の記憶

もはや「懐かしい」という気がしてきたが、2015年に安倍政権が「集団的自衛権の行使容認」を含む安保法案(安全保障関連法案)が成立した時、猛烈な反対・抗議デモが起きた。SEALDsといったデモを主催する学生の注目も集まった時期だ。

実際僕も、SEALDsに影響を受けた高校生の「安保法制反対デモ」を見にいったことがある(下の写真)。

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この時のほとんどのデモ行進のスローガンは「解釈改憲反対」「安倍は辞めろ」「独裁を許すな」「憲法を守れ」といったものだった。

そこから5年しか経っていない。もちろん、未曾有の国難であることを差し引いても、現在の安倍政権が打ち出すcovid-19対策に稚拙さがあるのは否めない。だがしかし、対応の遅さの一因に法制度上の制約があるのであれば、現政権は「法治国家の原則を忠実に守り、民主主義を擁護している」と言えるかもしれない。

つい数年前まで「安倍独裁反対」を叫んでいた人たちが、今度は「強力な政府主導の対策」を求めるのを、ダブルスタンダードだと感じてしまうのは僕だけだろうか?

戦後民主主義の集大成

本日、新型コロナウイルスの感染拡大に対する経済対策として、1世帯あたり30万円の現金給付をするする方針が決まった。一部記事より引用しよう。

安倍総理大臣は岸田政調会長と会談し、現金給付の方針を決定しました。どの程度収入が減れば対象となるかは明らかにされていません。政府関係者によりますと、支給を受ける人が所得の減少幅や振込口座を市町村などの役所に申告する「自己申告制」となる見通しです。経済対策は7日に閣議決定されます。

この21世紀に、支給に関しては役所に自己申告なのだ。だが裏を返せば、それは政府が国民の所得や口座の情報を持っていないということだ。この現状を、法学者の玉井克哉先生はツイッターで次のように表現している。

政府の対応が遅く、またその実施能力が弱い理由の少なくとも1つに、「戦後民主主義が勝ち得た自由」があるのだ。危機に対処できていないという複雑な心境と共に、ここだけは胸を張って良いのかもしれない。

第二次世界大戦を強力なリーダーシップに乗り切り、イギリスを勝利に導いたものの、戦争直後の総選挙で国民に下野させられた経験を持つ政治家ウィンストン・チャーチル(写真はwikipediaより)はこのような至言を残している。

これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

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民主主義が少なくとも、独裁よりはましな政治形態であることは間違いない。だがしかし、非常事態の前には民主主義はその弱さと脆さを露呈する。未来のより良い可能性を模索する上で、あえて問うてみたいと思う。「独裁は悪なのか?」と。

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