21 Lessons と最近のユヴァル・ノア・ハラリ氏の寄稿から、コロナ後を考える
ユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」を読み始めたのは新型コロナが武漢で増え始めた1月ごろ。
前作の「ホモ・デウス」で人類はホモサピエンスを神の領域に近づけるように人間を作り変える技術を身につけるという未来予想を描いていた。そのまた前作の「サピエンス全史」では人類の進化の過程で「虚構」を伝える技術を身につけて地球上の他の生き物を支配する世界を作り上げた過去を描いていた。
本書は、過去と未来の間にある現在から近未来の21世紀の課題を、21のテーマで語るものであるが、基本はバイオテクノロジーによる人間を作り変えようとするうねりと、AIによる人間の知的生産を取って代わる情報テクノロジーの発展。この2つが融合した21世紀は、技術革新がこれまでの産業革命以上に短期間に起こり、それに適応できない人は職を失い、収入を絶たれる。一方で、適応できた人は、バイオテクノロジーのおかげで不老不死に近い人生を謳歌するという近未来では、さらなる格差社会となると予想する。
国家は人々を常に監視しようとし、人体にセンサーを埋め込もうとする。
本書では21の章で課題を繰り返し述べるだけで、解決策は何も示されない。前2作同様、何度も同じことを繰り返して述べていて冗長である。前2作ほどのインパクトはないし、半分ほどで読む気を失うのも全2作と同じだ。
本書では各人がこれらの課題に対して、事前に準備しておくべきであると意識付ける、そして世界全体が同じ課題に向き合ったときどうすべきかをあらためて問うことなのである。
21 Lessonsを最後まで読み切るのに苦労しているうちに、コロナの感染が日本や世界にも広がっていき、ユヴァル・ノア・ハラリがいくつかの寄稿が公開された。
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そして、4/25にNHK ETV特集でインタビューが放送された。
いずれの寄稿も書かれていることは同じで、「全体主義」か「市民の権利の拡大」かという選択と、「国家主義的な孤立」か「グローバルな結束」かの選択が今迫られていること、今はその選択が将来を決める重要な選択の時期であるということである。
緊急事態宣言を早く出して、人々の接触を減らしてほしいと願うと、全体主義的なリーダーシップを持つ政府に期待することになるが、それは監視社会へと連なっている。それを防ぐための情報の公開により人々の不安をなくして協力を得るようにし、国境を超えた情報の共有によりコロナ感染症の治療法を早期に見つけること。
緊急事態になると、テレワークや遠隔授業などそれまでは、できないと言われていたことが有無を言わさず推奨され、できてしまった。できてしまえば緊急事態が去ってももとには戻れない。
アメリカのグローバルなリーダーという役割を降りたあと、どうやって結束するのか。WHOのような国際的な体制は今後どうなることが期待されているのか。
外出自粛を養成されている今をどう過ごすのか、本当に正しい情報は何かを知ることで、コロナ感染症に闇雲に怖がるのでなく、この先しばらく続くと予想されるこの状況が、収束した時世の中はどうなっているのか、どうなっていてほしいのか考えていきたい。
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