いわゆる放送禁止歌「要注意歌謡曲」とは何なのか
私の担当番組『藤川貴央のDMZ(ディープ・ミュージック・ゾーン)』では、60年代~80年代の楽曲を中心に新旧洋邦を問わず“おとなの部屋にはこんなアルバムが1枚あっても良いんじゃないか”をコンセプトに、ディープな音楽をお送りしている。
そこで避けて通れないのが「要注意歌謡曲」である。
弊社ラジオ大阪には、日本民間放送連盟が通達した当時の文書が残っている。
この制度は1959年(昭和34年)に民放連が作ったものだ。
あくまでガイドラインであり、法的な拘束力は無い。
しかし放送局側は「民放連によって禁止されている」と受け止めて自主規制をしてしまったため、指定された曲はラジオやテレビから締め出された。
基準を疑問視する声が上がり、1983年に制度は廃止され「要注意曲」は世の中から消滅した。
民放連はこのような10項目の判断基準を設けて、
A「放送しない」
B「旋律(メロディ)は使用可能」
C「不適切な表現を修正することで放送可能」の3つに曲を分類した。
ちなみに第8項の「頽発的」というのは「頽廃的」の誤植だ。
フォークソング全盛期の60年代から70年代にかけて、反政府的あるいは反社会的なメッセージが込められた作品を規制しようとしたものだったが、やがて放送に相応しくない言葉(いわゆる放送禁止用語)そのものが問題視され、規制対象となる曲は年々増えていった。
それに伴って「規制の濫用では?」と言いたくなるような理由で「放送禁止歌」の烙印を押された作品も少なくない。
例えば『DMZ』の“ポールさん大集合”の特集でご紹介したポール大源寺さん。遠藤実先生作曲のデビュー曲『四畳半ブルース(1966年)』はAランク(放送禁止)に指定されている。
「内容・表現が愚劣、下品で健康的要素も全くない」などと散々な書きようである一方、どの箇所がどのように愚劣で下品なのか具体的な指摘は無い。
曲を聞いてみると、三味線の軽やかな演奏と大源寺さんの美声が心地良い。「何がいけないの?」と首をかしげるばかりだし、デビュー曲がいきなり「放送禁止」のレッテルを貼られたポール大源寺さんが気の毒でならない。
しかし、制度が無くなった現在でも、放送現場では依然として「放送禁止歌」が影響を及ぼし続けていると感じる時がある。
ベテランの中には「元要注意曲だからかけない。」という制作者も少なくない。
もちろん、特定の人種や民族、その他あらゆる人に対して差別的な表現をしている作品や、犯罪を助長したり誰かを攻撃する内容のものを放送すべきではない。
そんなことは当たり前で、放送人としての良識があれば対応できるはずだ。
問題なのは思考停止である。これからも「放送禁止歌」の呪縛に苛まれ思考停止を続けるわけにはいかない。
過去に「要注意曲」に指定されていても、昭和を代表する名曲と言える作品が数多ある。その時代の空気をリアルに閉じ込めた名作が。
曲を深く理解し「元要注意曲だから」という理由ではなく、良心に従って放送するか否か検討する制作者でありたいし、作品の背景や物語、当時の価値観などを言葉を尽くして誠実に説明できるパーソナリティーでありたいと思う。