社会人時代⑥

そして、次の職場に就職した。この会社は建設会社だった、入社した当時にはPanasonicのパソコンらしきものがあったが、マニュアルをよく読んでみると富士通のF9450のOEMだった。
OSはCP/M-86で5インチディスクをガチャガチャと突っ込んで動かしていたもので、HDDに慣れた自分にはそーとー旧式な感じがしたが、どうしようもなかった。
一応エポカルクという表計算とエポワードというワープロソフトが付いていたが、表計算は複雑になると計算するのに遅くなってしまうので、自動計算を切り、データーを入力してからおもむろに計算させる、するとゆうにタバコの一本くらい吸えてしまうくらい時間がかかった。
しかし、その後に導入した東芝のQ500シリーズというオフコンよりレスポンスがよかったような気がする。今考えてもオフコンというものはメーカーのためであり、使用者のことなどさほど考えずに作っていたのではないかと思うのである。たしかにハードもソフトも自社のものだから、使い勝手なんかどうでもよかったのではないか?それだけ、評価を受けていないものは一人よがりのものになってしまうものなんだなぁと今でもふと思うことがある。結局、東芝のオフコンは会計と給与計算に使われていたのだが、ある時パソコンが導入されることとなった。何に使うつもりだったか今では忘れてしまった(^^;

さて、1990年の夏頃、昔の友人から電話がかかってきて、パソコンを買ったのだがよくわからないので来てくれとの事だった。
自宅を訪ねるとNECのPC9801がある。それと共に外付けHDDがあるのだが、繋げている様子もない。
彼は単にエロゲがやりたいだけだったのだが、店の人にただ言われるまま買ったらしい。彼はその後も、コスモビットという中古のゲームの販売と買い取りをやっている店に、通い詰めたのだが、部屋の棚が全部埋まってしまうくらい、ゲームに夢中になってしまった。そこで考えた、いっその事店をだしてしまおう。そうすれば好きなだけ新しいゲームもできるし、中古を売ることもできる。そうして彼は店を出したのだった。「1991年3月16日I/Oプラザ開店」の始まりである。

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