社会人時代④
喘息で苦しみ彼女とも分かれた頃だった、札幌に残っていた友人から連絡があり、ダイビングの体験をしてみないかというお誘いであった。
喘息患者は絶対そんな事をしてはいけないのだが、彼女にもフラれ、自暴自棄気味だった自分はその誘いに乗った。
Zというショップだったが、札幌から2時間ほどの積丹半島で講習をやっていた。友人らと一緒に行ったのだが、特に説明があるわけではなく、ほとんどいきなり潜る事となった。
自分はほとんど泳げないのだが、ウェットスーツのせいで海上で浮くことが出来、重りをつけることで海中に潜れる。
30分ほどの体験だったが、ものすごく新鮮で海中ってこんなに綺麗なのか、驚いたものだ。
今でもそうだろうがダイビングはお金がかかる。まずオーダーメイドのウェットスーツを作り、シュノーケルやゴーグル、そしてレギュレーターなどで20万ほどするし、ライセンス講習も5万ほどしたと思う。
そして日曜の度に積丹半島まで車で走り、酸素ボンベをレンタルする。
ホント若いから出来たのだろう。まぁ彼女にフラれてヤケクソになっていた部分もあるし、別に発作が起きて死ぬならそれまでと考え入会し、アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバーというPADIのライセンスを取るまで3年ほど夢中でやっていた気がする。
すると不思議なことに喘息が治ったのだ。ダイビングをしなくなってまた数年後に発作がおきるようになるのだが、何故かこの期間だけは運動しても発作が出なくなって、冬にはスキーもできるぐらい回復した、ホント不思議な経験だった。(喘息患者の方は絶対マネしないで下さい、間違えると本当に死にますので)
結局この会社には丸三年お世話になって退職した。喘息は治っていたが、やはり札幌に戻りたいと言う気持ちが勝ったのだ。
それから半年ほどバイト生活(アイスクリームの移動販売)をしていたのだが、ある転機がおとずれたのだ。