サッカーに教育が必要不可欠な理由
こんにちは!指導者2年生の油井です!
今日は不定期更新日ですが、更新してみます。とはいえ、中学生の指導があるので今日はさっそく本題に入ります。
ここ最近僕は教育について勉強をはじめました。まあ正確に言うと前々から興味があった分野だったのですが、最近指導をする時に改めて学ばなければいけないなと思って教育熱が再燃しました。今日話すのはさっきまで橋本龍来とzoomで話したことをベースに話してみます。
北欧教育のベース
今日話したのは主にフィンランドだったので、フィンランドをベースに話します。この国は幸福度がとても高い国です。この国の教育ベースは、
「幸せに生きる」
というミッションを持って幼児教育から行っているそうです。具体的なポイントは、
・自分が何をして生きていきたいのか
・「選択肢の多い世界」の中での「自己決定能力」
・自尊心と自己肯定感
主にこの3つを乳児教育から意識しています。例えば小学校の頃から選択授業があったりなど常に選択を迫られます。ただ、その選択も自分で決めるものであります。ただこの3つを時間を掛けてゆっくりとゆっくりと育みます。また上下関係と言うよりも平等主義です。なのでテストの成績などで学校が決まったりはしません。これは欧州全体がそうらしいですが。
また国民性からかスポーツなども競技としての側面ではなく、個人の豊かさのためにあります。したがって、生涯スポーツとしての側面が強いです。誰かに勝りたいのではなく、誰かと一緒に協力するという考えがとても強いのが北欧です。そのためかサッカーでは1つ飛び抜けないのです。
日本の教育のベース
しっかり書けます。何を隠そう私は約12年間日本人として日本の学校に通ったので、日本の教育論については体験談からめちゃ書けます。日本の教育の根本にあるのは、
「集団行動ができるようになる」
ことであると考えます。そのため、礼儀、挨拶などのは厳しくしつけられます。事実中学校の頃は中1の時に通りかかった先生に
「こんにちは!」
といっていました。日本の学校教育は6時間のカルキュラムがあり、自己実現のためと言うより社会で生きるために必要と言われているものを行われています。したがって、個人の自由は殆どないと言っても過言ではないです。
そして集団を重んじるからこその弊害で、個人の進路選択に自由はほぼないです。これは実体験から語れますが、
「サッカー指導者を目指す」
と高校生の頃に言いましたが、約3ヶ月間は反対されました。商業高校だったということも大きく、基本的に
商業高校卒=会計士、経理士などの会社の財務を処理する
というレッテルがあるものなんです。よって、しつこいほど反対されました。
なぜサッカー指導者の僕が教育を学ぶか
話を少し戻します。前にも言いましたが、サッカー指導者は教育者です。サッカーというスポーツを通して子どもを育てていくのが指導者の役目です。そのうえで、少しだけサッカーの話をします。よく聞くんですね。
「今のままだと日本サッカーは強くはならない」
「日本人はサッカーをわかっていない」
「指導者はサッカーをもっと勉強しなきゃいけない」
まあ確かにそうだと思います。事実僕もまだまだサッカーについてはわからないことは多いですし、今の僕だとジュニアユースの子どもの夢を叶えさせてあげられる手助けはまだ少ししか出来ません。ただ、いくらサッカーを知ったとしてもサッカーを勉強したとして、本当に日本が強豪国と呼ばれるようになるのかなと思います。僕自身はそれだけではいけないと思います。逆に言えば、今の危機感がある状態でもう1つの分野を強めれば日本サッカーは劇的に変わると思います。
それが教育だと思います。サッカー選手を構成する要素で1番重要である人格、パーソナリティが育まれるのが教育なので、教育が大事になります。
日本の教育の問題点
大前提日本の教育は素晴らしいと思います。素晴らしいというのは決して嫌味ではなく整備されていて学校も15歳までは義務教育で、18歳まで勉強し続けることが出来る。そして、大学や専門学校など幅広い選択肢があります。勉強をするという環境については欧州各国には負けてはいません。そして集団行動を重んじることにより、スペインのように勤務時間が終わって電車の運転士が帰ることもないし、そもそも時間に機敏な人に育ちます。そのうえで、問題点を2つ挙げてみます。
・ルールで縛り、個性を消して集団の一員にしてしまう
おそらく日本の教育において1番の問題点はこれだと思います。結論から言うと、本田圭佑や長友佑都などはおそらく日本の教育には染まらず、あるいは染まってるとしても自分軸を持っている人間だったので欧州ビッグクラブで活躍出来たのだと思います。
ただ、日本の教育では個性を消してしまうケースが多いです。ルールという絶対的正義を作り出すことにより、選択する機会を失わせてルールを破ったら悪人になるという制度があります。それにより、個人の選択する機会が失われ、間違えた選択をすれば怒られてより選択する機会を失ってしまいます。
そうするとどういう問題が起こるかと言うと、逆に人に聞かないと選択できないケースが多くなってしまうのです。これは自分でも勘違いしていたのですが、自分で選択できない子どもはその子どもが悪いのではなく、周りの大人達の影響でそうなってしまうケースが多いのです。実際自分が見ている子どもでも、みんなが軽食を食べているのにも関わらず、
「コーチ軽食食べていいですか?」
と聞いたりなど結局自分の軸がないので、こんな些細なことでも他人に聞かないとできないことがあるのです。
このようにルールで人を縛るアップダウンスタイルではなく、より個性が生きるボトムアップスタイルが少しでも浸透していけば良いのかなって思います。とはいえ、ボトムアップをするにはそれを我慢できるだけの大人の存在が必要ですが。
・失敗を許さない風潮、文化にあること
多分これもあるあるだと思います。というか僕自身成功のための失敗とか失敗を恐れてはいけないとか言いつつ、根っこは失敗が怖くて日々怖気づいている人です。ジュニアではそんなことはなくなりましたけど、ジュニアユースではやっぱり失敗が怖いです。失敗したあとが怖いからというしょうもない理由ですが、でもそう思うもんはしょうがないです。取り敢えず自分と向き合ってコツコツ直していくしか無いです。
じゃあなんでそう思うのか?理由はシンプルにそういう経験をしてきたからです。何かで失敗して壊してしまったりなどおっちょこちょいな僕はよくありました。大前提それをしてしまう僕に非はあるのですが、ただだいたいその後は罵倒されました。またこれもあるあるだと思うんですが、物を壊してしまったときなどに
「なんで今まで隠してたんだ!」
と怒る人もいると思いますが、これに関して子どもの根底には、
「怒られたくない」
という感情があります。もしも怒らない人だったら、多分正直に自白すると思います。
もとに戻します。結果に囚われすぎるのではなく、
・なぜその結果になってしまったのか
・このような結果にならないようにならないためにどうするか
を考える機会、一緒に考えれば失敗をした次にどうするかを考える子どもに育つのではないのかなと思います
最後に
僕自身このNoteで耳にタコができるくらい言っていますが、僕の関わった選手には幸せになってほしいんです。そのために幸福度が高い国はどのような教育をしているのか、日本の教育の問題点は何かを今後も勉強していく必要があると思います。それと同時にその問題を解決できるだけの技量を身に着けて子どもたちが幸せに生きれるようにサポートできるように今後も教育について勉強していこうと思います。
とはいえ、橋本龍来先生と一緒にですけどね。
またなにか学んだり話したらNoteに共有したいと思います。取り敢えずジュニアユースの子を幸せに生きれる手助けしに行ってきます。