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「祈り」という時間
祈りという時間
日々の暮らしの中で、ふと手を合わせる瞬間がある。「いただきます」や「ごちそうさま」という言葉に、感謝や願いが込められているように、それは意識するまでもなく私たちの生活に根づいた小さな祈りの形だ。
祈りとは、特定の宗教に限られたものではなく、もっと広く、私たちの心に寄り添うものではないだろうか。静かに手を合わせるとき、そこには「願い」や「感謝」だけでなく、「委ねる」「手放す」といった心の営みがある。祈りの時間は、何かを求めるだけでなく、そっと解き放つ時間でもあるのかもしれない。
コロナ禍を経て、多くの人が孤独を感じ、不安を抱えながら暮らしてきた。会いたくても会えない、触れたくても触れられない。その中で、私たちは祈るようになった。大切な人の健康を願うこと。それは、自分を支え、落ち着かせる時間でもあった。祈ることによって、私たちは見えないつながりを確かめ、安心を取り戻してきたのかもしれない。
祈るとき、私たちは一瞬、日常とは異なる時間の流れの中にいる。忙しなく過ぎる時間がふっと止まり、心が内側へと向かう。その瞬間、心は静かになり、不安の中では安心を、悲しみの中では癒しをもたらす。まるで、深く息を吸い込み、静かに吐き出すときのように、心の波が穏やかになっていく。
祈りには、一方通行ではない力がある。誰かのために祈るとき、私たちはその人を想い、同時に祈りの中で自分自身も整えられていく。祈られることで安心し、祈ることで支え合う。それは、遠く離れていても、あるいは言葉を交わせなくても、同じ瞬間に心を通わせるようなものだ。祈るという行為が、互いの存在を響かせ合う場をつくっている。
また、祈ることは、意識と無意識のあわいにある営みでもあるのではないか。普段の生活では、私たちは言葉や思考にとらわれがちだ。しかし、祈るとき、そこには言葉を超えた何かがある。自分を超えたものと響き合いながら、そっと静かに整えられていく時間。それは、自我の輪郭がほどけ、やわらかくなる瞬間でもある。
祈ることで、何かを委ね、何かを受け取る準備ができる。そう考えると、祈りとはただの願い事ではなく、生きる力を支える営みそのものなのだろう。
祈りの形は人それぞれ違う。でも、その根底には「穏やかに生きたい」「大切な人が幸せであってほしい」という共通の想いがある。私たちは皆、祈ることで、ほんの少しでも心を軽くし、前を向いていこうとしているのかもしれない。
静かに手を合わせる時間。そこに流れる、日常とは少し違う時間。その瞬間にこそ、私たちの心を支える大切な何かがあるのだと思う。