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とうとう出版社を退職しました①

ううっ・・登録してから9年目にしてはじめて書くことにしたnote。なのにいきなりめちゃくちゃ重いテーマで怯んでいる・・
が、しかしこの話を書かないことには一歩も前に進めないので、まずは自身のことをさらりと紹介しつつ、なぜこのnoteをはじめたのか、そしてまた出版社を退職したのか、などについて自分の頭を整理する意味も兼ねてぶっ飛ばして書いていきたい。

自己紹介


インスタグラムからここに飛んできてくれてる人にとっては今さらという感じかもしれないが、私、つい先月までとある出版社の役員をしておりました。主に生活、ファッション、料理などに関する雑誌・書籍・ムック・WEBメディアを担当する部門の統括責任者的な立場というとわかりやすいかな。そんなことをやっておりました。でも、もともとはバリバリの編集者、今の時代じゃ考えられない徹夜上等・残業どんとこいの出版残酷物語の主人公的泥臭編集マンでした。ところが、ひょんなことから保護犬を家族に迎え入れることになり、その様子をインスタグラムに投稿するようになってからというもの、編集者としてよりも保護犬福ちゃんのおとーさんとしてのほうがSNS上では有名になってしまったのだ。額に深い皺を刻むほどの困り顔で、まったく人慣れしてくれない福との日々。そしてその背景には乳がんステージ4で余命宣告を受けた妻、そして難しい年頃の息子と娘との思い通りにいかない日々・・そんなストーリーがどうやら共感を集めたらしく、気がつけば犬猫メディアに連載を書いたり、イベントに登壇したり、犬猫グッズのアンバサダーになったり、あげく、自分の本までだしてしまったのである。だいぶ豪速で端折ったけれどそんな感じです。これから、このnoteに、これまでいろんなところに書き散らかした原稿も、おいおい、アーカイブとして読めるようにしていこうと思っていますので、また準備ができたらご案内します。


編集者は天職

大学生の頃、ほとんど勉強もせずに釣りやキャンプに明け暮れていた。当然、就活なんて興味もなかった。そんな僕が大学4年の時、ちょっとした興味からアウトドア雑誌の読者モデルに応募したところ、なんといきなり採用→初仕事で表紙モデルまでしてしまった。そのままの勢いでその雑誌の編集部のお手伝いをするようになった。これが編集者になったきっかけだ。当時は出版といえば数多ある業種のなかでも憧れの存在。そこにまんまと裏口入学したような気分だった。
ところがである、世の中そんなに甘くはない。出版界のしくみなんてぜんぜん知らない田舎者の大学生は「出版社」と「編集プロダクション」の違いすらわかってなかったのだ。え?ここ出版社じゃないの??と気がついた時は後の祭り、まんまと社員1名しかいない弱小編集プロダクションが僕の就職先。出版社の下請け企業だ。出版社といえば高給高待遇に対して絵に描いたような薄給過酷労働の世界。それでも僕は好きな世界で雑誌をつくる仕事ができて幸せだった。休みがないのも、寝る時間がないのも、ぜんぜん気にならなかった。楽しくて仕方なくて、趣味が仕事になり、そして仕事が趣味になるというちょっと何言ってるかわかない、状態になった。小さな会社だったこともあって、1年目、2年目からでっかい仕事をどんどん任せてくれた。いや、それむちゃぶり、ぶん投げすぎでしょう!て今なら大問題になるような仕事のやりかたも僕にとってはかえってありがたかった。
編集部に出入りするフリーのデザイナーやカメラマンさんから「こばやしくんはすごいね!天才だね!」と、今思えば励ましのお世辞でしかないそんな言葉を間に受けて、うれしくてうれしくて、さらに馬車馬のごとく働いたのだった。

憧れの出版社へ

小さな編集プロダクションの仕事は楽しかった。楽しかったけれど所詮は下請けだった。仕事を覚えた頃、僕の頭の中は毎日のように「めちゃくちゃいい企画が浮かんだ!!」「こんな本を出したら売れちゃうのでは?」とアイデアが溢れ出していた。取り憑かれたように大量に企画書を書いた。でも、悲しいかな、それを実現することは編集プロダクションでは叶わなかった。淡々と親会社から降りてくる仕事を期日通りに仕上げることだけを求められ、それ以上のことを口にすると露骨に嫌な顔をされた。
そればかりではない、たとえば出版記念イベントや芸能事務所のパーティーに招かれて顔を出したときにも、周囲の大手出版社の編集者に対する笑顔と僕に向けられる笑顔に格段の差があると感じた。(たぶんこれは自分が勝手に思い込んでただけなんだろうと今はわかる)。
楽しかった日々が気がつけばため息ばかりの日々になっていた。「やっぱり出版社じゃないとだめなんだな。出版社になりたい!!絶対出版社がいい!」。世の中のルールも会社経営もわかっていない、若造がぶつけた思いの丈は編集プロダクションの社長を動かした。なんとリスクを背負って出版社として独立することになったのだ。しかも、すこしではあるけれど、僕も株式を持たせてもらい、経営の一端を担わせてもらうことになった。そのとき僕はまだ20代だった。

いけない、編プロ時代の話を書き出したらかなり盛り上がってしまって、もっともっと書きたくなってしまった(笑)。出版社辞めた話を書こうとして立ち上げた話書いてどうするwww  
ということで今日はこの辺で。つづきはまた!!

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