見出し画像

20年前の阪急京都線へタイムスリップ

2000年代の阪急京都線も大きく変貌をしている最中でした。

種別再編、種別インフレ


 はっきり言って、この時には我々の鉄道好きでも頭が混乱するほどの再編でした。
①元「快速急行」の停車パターンは、「快速特急」に
②元「急行」の停車パターンは「快速急行」に
③元「快速」の停車パターンは「急行」に南茨木に追加停車。
④元「特急」の停車駅パターンは「通勤特急」に

ということです。
そして、新しい「特急」の停車パターンが作られました。十三・茨木市・高槻市・長岡天神・桂・烏丸というものです。梅田ー河原町で6駅停車です。従来の、4駅から2駅増加です。

 あえなく、一旦「快速」は消滅しています。

日中のダイヤパターン


 特急・急行・普通が10分毎にと書いてしまうとシンプルなんですが、元の高槻市以北各駅停車になる優等種別を深度化させたようなダイヤとなり、かなり今のダイヤに近い形態です。
 この時には、車齢が高い昭和35年デビューの2300系も優等列車の運用に入ることもありました。実質的に復活したという事です。また、「急行」の看板付きも走りました。なお、「急行」は実質的に、「快速」の名称変更でしたので以前のようにすべて8両編成ばかりという事はなく、7両編成も走りました。

2300系の看板付き急行


最大の問題点


 この時には、特急が6300系(特急車両)と一般車両が混じるという事です。6300系は、乗り降り(2扉)に時間がかかる点(加速性能はそれほど良くなく従来は停車駅の少ない種別での運用であったので)遅れ気味なってしまうことでした。
 一般車両の特急では、車内設備に不満を持つ従来客もいたように思います。このような、複合的な問題点を抱えることになりました。
 また、特急車両の6300系の老朽化もしてきており、2003年に現在の特急型車両9300系がデビューすることになりました。

ラッシュ時のダイヤ


 基本的には変わりませんでした。
 朝は、通勤特急・快速急行・堺筋急行・旧準急・普通となりました。
日中は、特急・急行・普通
夕方は、快速特急・快速急行・堺筋快速急行・普通
が運転されていました。
 夕方の上りは、天下茶屋発が堺筋快速急行。朝の下りの河原町発が堺筋急行だったようです。

5300系の電動表示幕が未整備の車両だったころ、堺筋急行のみ小さな手動の表示幕を使っていた


まとめ

・日中の時間帯は、今とよく似たダイヤに。
・朝夕は、従来とおりのダイヤ
・特急型車両の置き換えが始まりかけの頃でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?