クニさんの思い出
その昔。本田技研のPR誌の仕事をしていた。その関係で、高橋国光さんに取材する機会があった。場所は、鈴鹿サーキット。クニさんは出場するレースのあとに取材を受けてくれる段取りだった。いや、レースではなかったかもしれない。マシンのチューンナップのためのサーキット走行だった可能性もある。このあたり記憶は曖昧だ。
走り終えたクニさんは、インタビュー場所、記憶違いでなければ、鈴鹿サーキットの食堂のようなところだったと思う、にやってきて、開口一番こう言った。
「家に○○時までに戻らないといけなくなったんですが、よかったらインタビューはクルマの中でどうですか」
クニさんの助手席に乗るチャンスを逃す手はない。もちろん快諾し、同乗する幸運を得た。
が、はっきり言って道中はインタビューをするどころではなかった。これはもう言ってもいいと思うのだけれど、リミッターを外しカスタムチューンされた国さんのレジェンドは、速かった。スピードを具体的に書くことはやめておくが、前方に点のように見えていたクルマがあっという間に近づいてくるし、そのブレーキのタイミングの速さと踏み込みの強さに、レーサーとしての感覚を垣間見た。
全く怖くはなかった。むしろそのことを楽しんでしまって、話を聞きそびれたというのが本当のところだ。
クニさんはたぶん、ふだんは至って穏やかなドライバーである。その日は私を楽しませてくれた感じが多分にあった。それに高速を降りれば、そのジェントルな運転は、街なかで粋がっている人とはまるで異なるものだ。
その頃、クニさんの自宅は伊豆にあって、そこへ到着すると、奥さんがあまりの帰宅の早さに驚いていた。クニさんは私の方をちらっと見てニヤリとした。
その後、ご自宅で幾ばくかのお話を聞き、ご近所の美味しい食事処に連れて行っていただいた。
そのとき、「仕事で東京に行くと、耳が汚れるんだよね」といって笑っていた。伊豆の暮らしに満足している風だった。
が、それから何年も経って、玉川高島屋でクニさんにばったり会った。
「子どもの受験があってね」
とクニさんは東京に移り住んだ理由を教えてくれた。
伊豆で話してくれたマン島TTレースの話なども、内容はもう忘れてしまった。
時代も人も失われてゆく。
ご冥福をお祈りいたします。
*トップ画像は、本田技研の記事から借用した。