冬空の流星のように

「朝日のような夕日をつれて」

1981年の第三舞台旗揚げ公演の演目。
記憶の中で蘇るのはいつも
大隈講堂裏の劇研のアトリエで出合った
岩谷真哉のキレッキレで、艶っぽい演技だ。

「朝日のような夕日をつれて
ぼくは立ち続ける
つなぎあうこともなく
流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて
ぼくはひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように
ぼくは、ひとり」

かっこよかった。
痺れた。
孤高とは、冬空の流星の如く純度高く美しいのだ。
手をつなぐ。
それは恒星のように立ち続けていればこそなのだ。

が、実際の日々はこんなにかっこよくはない。
誰かに甘え、そのくせ不必要に何かを拒み
心の中はぐちゃぐちゃ。そんなものだ。

あるとき、SNSで感情のままに悪態をついたことがあった。
すると、知人から、
「大人でも、そんな気持ちになるんですね」とコメントが入った。

ビックリした。俺は大人なんだと。

年をとると、精神と肉体が乖離する。
その証拠に私はまだ、
「朝日のような夕日をつれて」に痺れたままのように
生きている。
が、身体はよれよれだ。
人は、ときに自分がこのアンバランスな状態にあることを
忘れてしまう。
その、心のありようがやっかいである。

肉体を精神に近づけようと、
悲壮な努力をする姿を想像するだけで鬱陶しい。
さりとて、
精神を肉体に近づけるために霞を食べ続けることも
はなはだ難しい。

冬空の流星の如くやがて消え去るまで、
目指すべきは哀しいかな諦念の獲得しかないのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

TABU
サポートしていただけたら、小品を購入することで若手作家をサポートしていきたいと思います。よろしくお願いします。