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覗き合う絵画たち。
第73回東京藝術大学卒業・修了展2025で
大学院美術研究科絵画専攻油画研究室 酒々井千里さんの作品を観た。
「ダブルピーク(Double Peek)」と題された展示は、
「Because(Because)」という作品と
それに相対する一に「ねぇ(You know what)」という作品で構成されている。ともにキャンバスに油彩、グリッター、木で2025年に制作された作品だ。
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二つの絵画は、大きなホワイトキューブでそのほとんどが隠されている。近づいて覗いてみようとしても、画の全体像は伺いしれない。
以下、作家のステートメント。
カラオケに最後に行ったのは3年くらい前に友達と行った時か。 3時間くらいいたら眠くなってきて、目を覚ますためにミュージックビデオができるだけ白い曲を探したな。 友達がすぐ見つけてその歌を歌っていた。 薄暗い部屋で白い光が。 ちょっと横を見ると、 照らされて白くなった顔たちと映像を見るいくつかの視線が。 あ、一昨年台湾でカラオケ行ったか。
モノポリー。 懐柔。 好きな食べ物はりんご。 百均でアラザンを買う。 メモを読んだ。 読まない限りすっかり忘れていた。 パソコンを開く。 MacBook Pro。 そのロゴの隣にヒビが入っている。 大きなしこり。でも被害とか加害とかじゃない。 少し開かれた扉みたいなもの。ピーク。 それは頂点っていう意味の方じゃなくて、覗くっていう意味の方。 Peek。 ダブルピーク。 双方からピークされているっていうこと。 Face to Face。 白。 水性ペンキの白。 Eナンバーエコつや消し浅井色 白。 表裏表裏表裏表裏。 ホワイトアウト。
一枚、絵を描いた。 画用紙の四辺に沿って色のついた線が引かれて、 中央部分は適当なグレーで塗りつぶされている。その絵を説明した時のことを思い出してみる。 「真ん中は何もなくて…、まぁ鉛筆で塗ってはいるんですけど・・・ でも何もなくて、 中心はあんまり重要じゃなくて空っぽで、 大事なのはその周辺って感じ……」 そんな感じ? だいぶ言葉足らず。 っっっっっっt。
ここ最近、 自分が考えていることを言葉に発する瞬間に意識的になっている。 言葉になる前のものから言葉になったあとのものがピッタリ合ったことはまだない。 幻想と幻滅。 でも言葉を探している時間っていうのは案外楽しい。
この展示空間には厚さ数センチの平面が壁に設置されていて、 そのすぐ前に白い直方体がある。(平面+直方体)向かい合って✕2。 この直方体あってこその平面、みたいな感じだけど、これらの2つは一緒くたに見えないといい。 別々のもの。
直方体は質量が感じられたらいい。 平面は直方体によって表面が遮られているけど、 全部が全部遮られているわけじゃない。 見える部分と見えない部分がある。 見える部分っていうのは直方体の持つ質量とは違うようであってほしい。 見えない部分は見えないんだから質量は感じられないだろう。 前に、 「質量がないものを作れたら素晴らしいんじゃないかと思う」 っていう文章を書いていた。 ここでいう「質量がない」 っていうのは見ることはできても触ることはできないっていうこと。 近づき離れて、 蜃気楼みたいなね。 実際の物質的な重さじゃなくて。 そこにあるだろうと思っても確認できないっていうこと。
キャンバスに描かれたものが完全に質量を持ってしまったとき、 その質量を受け入れられないとき、無かったことにすればいい。 でもゼロには戻せない。 これはそんなときのための提案。 または、 そんな思惑ばかりの計画通りな提案に目の前を塞がれて、 なんというか、フッ・・・とね。
私たちは、大きなホワイトキューブによって、絵画と向き合うことができない。むしろ、ホワイトキューブの存在が絵画のそれと逆転してしまっているようにさえ感じる。
二つの絵はどこまで存在しているのだろう。見えない部分には何も描かれていないのではないか。見えている部分もわずかで、それをもってフォトショップで画像を継ぎ足したように見えない絵画が存在していると想像してしまうことすらできない。
いつものように何気なく絵画を鑑賞することは許されていない。頭の中で補正することも叶わない。作家はそれを「質量のないもの」といっている。
視覚によって存在することを確認する行為に抗う、とでも言うような作品。この全体をどう浴びたらいいのか。空間を行ったり来たりした。
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