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生命力の消耗を最小に。

【Diversity on the arts project_2019】
ケア原論「介護の成り立ち・目的論」
飯田大輔さん(社会福祉法人福祉楽団理事長)

いつものダイバーシティ実践論だと思って参加すると
今宵のそれはケア原論だった。
飯田さんのお話を聞くのは三年目だが、
これまで聴講できなかった講義で新鮮だった。

講義は飯田さんの
「介護原論〜介護の科学とクリエイティビティ〜」にそって進められた。
それはすなわち、ナイチンゲールの「Notes on Nursing」の話から。

その冒頭、まず介護職って英語でなんと言うのかという
アイスブレイク的な投げかけが飯田さんからあった。
そこで驚きの事実。
介護という概念は日本と、日本に学んだ韓国にしかないそうだ。
世界では看護と介護を分けてはいない。
なので、介護は大抵の場合、Nursingとして理解されるしアジア圏では「KAIGO」と表記されていることも多いという。
敢えて英語でいうならば、最近はCare Provider というらしい。

さて、ナイチンゲールの看護論。その特徴は
「自然の摂理に裏付けられた疾病論(病気とは何か)」を
提示しているところにあるという。
ナイチンゲールは「看護とは何か」を考える前提として、
「病気とは何か」という視点を重要視した。
それが、生命体が内包する生命力の実態に焦点を当てて病気を理解する
「病気の見方」の確立につながっていく。・その真髄となる言葉が「すべての病気は、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程である」というものだ。病気は回復のプロセスなのだ!

ゆえに看護とは、そのプロセスを最も良い状態に導くこと。それは「生命力(≠体力)の消耗を最小にするように整えること」と置き換えられる。
すべての病人において安静は生命力の消耗を防ぐ手段とは限らない。
運動の確保が生命力の消耗を防ぐケアとなる場合もありうる。

原論だからこそ出合えた先人たちの見地。
では、そこから導き出され日本で生まれた介護とはいかなるものなのか。
90歳、要介護5、ほとんど寝たきり、前日にインフルエンザと診断された女性の自宅に訪問介護に行ったときに、まず何をすべきかという具体的な問から始まった。

それは思った以上に難しい問だったと思う。なにか介護ならではの見知らぬ手段があるのではないか。
しかしその見当がつかないからどう答えてよいかわからない。
が、しかし、飯田さんに説かれてみれば当たり前(専門性を身に着けずして何でもできるということではない)のことだったりもした。

そこに求められていたのは、何よりも優れた観察者であることだ。そしてそれを自分の場合と照らし合わせること。
「優秀な看護師・介護福祉士ほど口数は少ない」という飯田さんの言葉。
「お加減いかがですか」などと聞く前に、彼らは観察によって多くの情報を
得ているので、患者を疲れさせるコミュニケーションなど取らないというのだ。なるほど。

飯田さんの話はいつも本質的で、ときにユーモアに溢れおもしろい。
次週も楽しみである。

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