裏返ったネタ札
最近は無沙汰を続けてしまっているが、単純に通い始めてからの年月だけ数えると三十年ほどの付き合いになる鮨屋がある。彼の国の大統領が食べに来たりはしないが、鮨好きの人の中では店名を聞けば知っている人も多いのではないかと思う。老舗といわれる部類の店だ。鮨は男鮨。華やかな酒肴など何もなく、つまみはネタを切るだけだ。
通い始めた頃は、先代、つまりは初代の親方の時代である。予約もせず店に行っていた。もちろん入れない。そこで他の店でビールでも飲みながら待つことになる。当時は携帯電話などというものがなかったので、もういいかなという頃を見計らってもう一度店を覗く。長っ尻の客(私も人のことは言えない)がいると、もう一度待たされたりする。そんなこんなでようやく暖簾をくぐり、カウンターに腰を落ち着ける。
「いらっしゃい」
行き始めの頃は、親方のよく通る落ち着いた声に緊張した。私たち以外はほとんどグレーの背広のお偉いさんだ。親方と常連の人たちの会話をくぐって注文するのは、思った以上に難しい。そんなとき、当時の一番弟子だった今の親方が助け船を出してくれた。
そんな時代もいつの間にか過ぎて、気がつけば、私たちは親方にけっこう気に入ってもらっていた。そしてこの店でリラックスできるようになった。鮨屋は晒しの商売だといわれるが、そこに集う客も晒しの客である。お見合いみたいなもので、誰もがこの鮨屋をよしとするかどうかは分からない。私たちはとても波長が合った。
背広姿でほぼ満席のその宵。ひとりの男性が私の隣に座った。カジュアルなファッションで、私と同じようにその鮨屋で浮いていた。ただ私はもうそこに居場所を見つけていたし、彼は明らかに初めて訪れた客だった。その境涯からくる緊張の度合いが私にはよく分かった。
つまみを少しを取り、私たちは握りにうつっていった。この店では「おすすめ」もなければ「おまかせ」もない。自分から頼まなければ何も出てこない。そのことが初めて来た人たちにとってのハードルを上げている。私はいつも赤身と烏賊から始めて、小鰭あたりに展開していく。
どこの鮨屋でもそうかもしれないが、毎月通っていると季節の移ろいをネタの変化で感じ取ることができて楽しい。新子や新烏賊といったひとときだけの楽しみもあるし、蝦蛄のように卵を持ち出すと身の旨さが失われてしまうようなネタもある。鮑の季節もあれば蛤の堪えられない時期もある。
だから通うに限るのだ。たまに行くだけだとそのおもしろみが分からない。
常連の人がまだ来店していなくて、その人の好きなネタが残り少なくなると、親方はネタ札をひっくり返してしまうことがよくあった。そうなると不思議なもので、さっきまで見ていたはずなのにそのネタがなんだったのか、思い出せなかったりする。まぁ、けっこう飲んでいるということもあるのだが。そして、ひっくり返ってしまったネタがなんであろうと無性に食べたくなるわけである。
その日はたしかミル貝だったと記憶しているが、本当にネタがなくなってしまって親方は札を返したと思う。すると、隣の彼が意を決っした面持ちで親方にこう尋ねた。
「今返した札はなんだったんですか」
親方はニヤッとして私たちに目線を投げたあと、こう返した。
「これ?、これはね、私のやる気です」
親方は常々六十歳で引退すると公言していたのだが、それがいろいろあって延び延びになっていたのだ(引退は六十五歳のときだった)。だから、ときどきこういう冗談を言った。
それは半分私たちに投げかけたつもりだったのだろうが、初めて来た彼にはそれを見て取る余裕もない。「やる気ねぇ(笑)」なんてみんなが笑い返している間も、じーっと、下を向いて考えている風だった。
そしてこう聞き返した。
「それって、どんなネタですか?」
これにはさすがの親方も参った。
ネタはミル貝だったこと。どうしてそんなことをいったのかという心情を親方は彼に話した。そこで彼が笑ってくれれば救われもしただろうが、聞いたことを恥じているように縮こまってしまった。
彼がその後もこの鮨屋に顔を出したかどうか知らない。この店でなくとも、意居心地のよい鮨屋のカウンターを彼が見つけたことを願ってやまない。
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