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「私東京」という極私的まなざし。
考えてみれば、「東京」などという巨大なものを生きる術を私はもっていない。極私的な、その昔、椎名誠が半径5メートルの世界を書くと宣言していたように思うが、そのような個人的な世界を生きているのみだ。
そういうナノ的な世界が絡まりあって「東京」というものはできているのだろう。だからこそ、東京の一分子として、私たちが認識するもの。まずはそこにまなざしを向けようとしなければ、何も見えてこない。
「私東京」というのはおそらくそうしたアプローチだ。
雨の銀座。森岡書店。
ここで展示されているのは、
東京藝術大学の課外授業から生まれた
11篇のトーキョー・スケッチだ。
展示最終日に、なんとか間に合わせて
このプロジェクトに参加している川窪花野さんに会いに行った。
彼女は妹さんとコラボ作品をA4サイズのZINEに発表していた。
書店の名はついているものの、そのコンパクトなスペースに
本棚はなく、今回のプロジェクトのアウトプットとしての
それぞれの作品が展示されており、
それをまとめた一冊のムック『私東京』が置かれている。
川窪さんの作品展示はなく、ZINEのなかにのみそれは存在していた。
「ディスタンス中央線」
絵が花野さんで、文が亜都さんだ。
絵の中に文章があるのではなく、セパレートされている。
それは、亜都さんの文章が台詞のようなものではなく、
コマ割りの中に入れるには、違和感があったからだと思う。
花野さんが描く中央線の人々は、ジリジリしている。
ジシジリの間から、目に見えないエートスが滲み出ている。
亜都さんの言葉は、身体的・心理的距離のゆらぎについて
一つの改行もなく、綴られている。
文字同士が、ジリジリしているが如く。
皮膚と皮膚が触れ合うほどに近づくと、不安が自らに生じてくるのを認め、身体的距離の近さがまた異なる意味を持ちはじめていることを知る。灰色の他社の体温を不思議な温もりとして受け入れていたころのことを少し懐かしく思う。
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ソーシャル・ディスタンス。
この妙な概念が私たちに与えた引っかき傷のようなものは、やがてかさぶたに覆われ、むず痒くなり、剥がれ落ち、忘れ去れられていくのだろうか。あるいはそれは個々人の気持ちの中に重りのように居座り続けるのだろうか。
川窪さんの他にも
「東京喫茶オートマティズム」を発表されていた
辻明香里さんともお話をした。
彼女が喫茶店で採集した“ことば”たちを追体験してくと、
もはやそれらが意味を失い、音となって迫ってくる感覚が面白かった。
彼女が、文字起こしが大変だったと言っていたことはそこに通ずるのかなとも思ったりした。
川窪さんと辻さん、お二人から購入した『私東京』にサインを頂いた。
お二人以外に、このブロジェクトに参加された東京藝術大学大学院生の方は以下の通り。
赤星りき 大橋文男 儲靚雯 永島悠伊 見山隆生 宮林妃奈子 吉原遼平 盛岡督行
<責任編集>宮本武典
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