バスに乗りながらマリオカートをして酔っていた高校時代。読書に目覚めたあの頃の話。
ライターの中には読書好きの方も多いと思う。
「子どもの頃から本が好きだった」という方にもよくお会いする。
ライターの私が読書の楽しさに目覚めたのは高校生になってからだった。
読書好きの祖父母、両親、兄妹と、彼らが所蔵するたくさんの本に囲まれて育ったのだけど、私は長らく本に興味をもてなかった。
そもそも私は文字に興味を示さず、ひらがなを覚えるのも遅めだったと母は言う。
母の作戦にのせられてひらがなを3日で覚える
「小学生になっても文字を覚えなかったらどうしよう!」と思った母は、私におもちゃを買い与えた。
それは、ひらがなが順番に書かれた柔らかいマットで、電源を入れて、指で任意の文字を押すと、その文字の音がスピーカーから聞こえるという代物だ。
そのおもちゃに魅了されたらしい私は、数日間片時も離さず持ち歩き、「お・は・よ・う」などと指で押して、スピーカーから発せられる機械音で挨拶をするほどだったと聞いている。
母の作戦の甲斐あって、3日後には私はひらがなをマスターできたそうだ。
しかし、文字を覚えたからと言って、本に親しみ始めることはなかった。
外で走り回ることが好きだった私は、完全にアウトドア派。
何か読むとすれば漫画!という生活が中学3年生まで続いた。
両親は私が好きなことは十分にやらせてくれるタイプなので、読書を強要されることもなかった。
私を除いた家族の会話には、「この本面白かった」「読み終わったら交換しよう」といったやり取りが日常的に繰り広げられていたのだけど。
読書習慣がついた!半ば強制の「15分読書タイム」
私が読書を始めたのは、私が通う高校で、毎日15分くらいの読書タイムが設けられていたのがきっかけだったと思う。
読む本は自由で、各々好きな本を選んで、それを自分のペースで読む。
漫画は怒られるし、何も読まなくてももちろん怒られる。
何を読んだらいいかわからない私は、姉に相談し、流行りのミステリー作家を教えてもらった。
早速本屋で、その著者の本の中から一番薄い本を選ぶ。
分厚い本を見ただけで、挫けそうになる。
読書に慣れていないんだから、私には薄めの本がぴったりだ。
薄いとは言っても、私が読んだらかなり時間がかかるんだろうなと思いつつ、渋々読み始めた。
寝食を忘れるーー。
寝るのも食べるのも大好きだった私には縁のない言葉だったのだけど、この時初めて、寝る間も食べる間も惜しんで本を読むという体験をした。
ここまで自分を魅了する存在があることに感動した。
それを今まで知らずに生きてきたことが悔やまれるほどで、そこから貪るように片っ端から読書を始め、いろいろなジャンルの本を読むようになったと記憶している。
家にはその要求に応えるだけの本に溢れていたし、読書家の家族からの情報提供は十分過ぎるほどだった。
また、私と同じように15分の読書タイムで読書好きになった友達もいた。
友達とも本を交換して、感想を言い合って楽しんだ。
とにかく読みたい本が溢れていた。
時間が足りなかった。
スクールバスでマリオカートの代わりに読書を
私は高校生の頃、スクールバスで高校に通っていた。
学校まで遠かったこともあり、結構な時間をバスで過ごすことになった。
友達とおしゃべりをしたり、当時流行っていた、Nintendo DSのマリオカートで、友達同士で対戦したりしたこともよく覚えている。
昔からマリオカートは大好きだ(今もSwitchでやっている)。
当時、バスに乗ってる時もやりたかったのだろうが、バスは右に曲がるのに、画面の中では左に曲がったりということが起こるので、かなり酔う。
マリオカートが読書にとって変わるのに時間はかからなかった。
思い返せば、バスの中での読書も最初は酔っていたかもしれない。
しかし、毎日通う道に体も慣れたからか、気がつけば山道をクネクネと走る車の中で本を読んでも全く酔わなくなっていた。
本に夢中になって、酔いさえも気がつかなかったのだろうか。
おかげで3年の間にかなりの本が読めた。
バスの中での「マリオカート大会」も時々開催されたけど、ついに慣れることはなかった。やめた方がいい。
高校時代の15分読書タイム復活
暇さえあればスマホを開いてしまう今と違って、あの頃は時間さえあれば間違いなく本を手にした。
その頃を思い出したら、積読の山が無視できなくなってくる。
山頂の手前からそっと1冊抜き出す。
少し強制されるくらいが丁度いいのかもしれない。
高校の時の読書タイムを復活させる時がきた。