ミニマリズムについて:Apple社のデモクラシーと独裁
AppleがMAMORIOの競合製品を出してくるという噂が現実味を増してきたので、今更ながらAppleの本を読み直している。
読み直してあらためて、自分たちがこれからおそらく直面するであろう相手というのは頭のてっぺんからつま先まで狂った人間が作った会社なんだなあと思いワクワクしている。
テック企業のデモクラシーと独裁
Appleという会社の歴史を読み直して興味深いのは1997年に復帰したジョブズによって抹殺されることになる「民主的」な意思決定プロセスだ。
ジョブズが復帰した時点でのAppleの開発プロセスはエンジニアリングとマーケティングとUXチームのボスの三頭政治のようになっていた。
後世の目から見ればそんな体制でまともな製品が作れるわけがないのは自明のことに思えるのだけど、一方でなぜジョブズが最初に会社を去った際にそういう体制が構築されてしまったのか?という動機の部分についてもちゃんと書かれていて、その指摘は独裁というガバナンス一般の美点と欠点のすべてを一言で要約したものになっていて良い。
組織のステージによって求められる統治のあり方は異なるし、単なる創業社長のオラオラな専制とはちがって、後期のジョブズの独裁体制はジョナサン・アイブやティム・クックのような腹心達が動機の次元からリーダーの意を汲みつつその人格の短所や限界を補うことで成立している。
独裁的なガバナンスは完成に近づけば近づくほどリーダーはより象徴としての役割に徹して現場からは退き、強大な権限を与えられた腹心達が実務という舞台の主役となっていく。
才能をピックアップし、世間から切り離し、反対者や異物を取り除き、テーマと妥協を強いられることなく仕事ができる場を提供することで、独裁者は対話と折衝に価値を置くデモクラシーでは実現不可能な価値を生み出すことがきるのだ。
独裁と無私とミニマリズムデザイン
また、圧倒的なエゴで組織とプロダクトラインと粛清していくジョブズとは対照的に、奇妙なほどに功名心や自己主張がなく、名前を知られることもないジョナサン・アイブの部下のデザイナーたちの沈黙も興味深い。
彼らの仕事への向き合い方や生のあり方は、自己愛の塊でありなんでもゼロから作り直したがり製品の改良を依頼されてもトンマナを無視して自分色に染めたがる人たちである、という日本における一般的なデザイナーのイメージとはかなり異なっているように思える。
彼ら志向しているといわれているミニマリズムという思想は教科書的にはデザインはモノの目的に従うべきという機能主義と80年代の装飾過多に対する反発で構成されているということになっているのだけれども、ユーザーとその目的の間に一切余計なものを挟まない透明なインターフェイスのような製品を目指すことは最終的には作り手自身にエゴを抹殺すること要求するということを本書は示している。
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