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土曜ソリトンSide-B : あれから20年⑤

その5:ETVYOUYMO

 「土曜ソリトンside-B」の放送は毎週土曜、午後10時からの45分だった。
そういえば「虹の都へ」のヒットのきっかけになった「ねるとん紅鯨団」(番組中のCMで繰り返し曲が流れた)も土曜の夜の番組だった。

 NHKアーカイブスの解説ページによれば、土曜の夜の教育テレビ(現・Eテレ)は、ず〜っと「若者向け番組」の時間帯なのだそうだ。
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/genre/variety/8287.html

 10代、20代の若い世代に向けた番組の系譜は、1962(昭和37)年にスタートした『若い広場』(62年4月~66年4月、69年4月~82年4月・教育テレビ)に始まる。『若い広場』は、若者の生き方を通して時代に迫り、芥川賞受賞直後に出演した村上龍や、スタジオの音作りをテレビで初めて公開したオフコースなど、『若い広場』なら出演するというアーティストや知識・文化人が多かった、知る人ぞ知る番組だった。この『若い広場』を受けた若者向け番組が、『YOU』(~87年4月・教育テレビ)であり、その後、『ソリトン』や『トップランナー』に受け継がれていく…

 僕が高校〜大学時代を過ごした1980年代は、ネットが発達した現代とは比較にならないほど都市と地方の情報格差が激しかった。中学・高校と浜松に住んでいた僕にはNHKはかなり重要な音楽やアートの情報源の一つだった。

 1980年にジョン・レノンが暗殺された時のFMのビートルズ全曲放送特集で、初めてストロベリー・フィールズ・フォーエバーを聴いた。「600こちら情報部」という夕方6時の番組の「テクノ・ニューウエーブ特集」で、ヒカシュー・P-MODEL、プラスチックスのスタジオライブを観た。レコード屋ではなかなか手に入らないレアな音源を聴けるNHK FMの坂本教授のサウンドストリートはもちろんマスト。そして糸井重里さんが司会していた「YOU」は頻繁にYMOが出てくれるレアな番組だった。細野さんがイミュレーターを「YOU」の中で実演して「サンプリング」という概念を初めて知った時のことをありありと憶えている。

 結局「再生」するまで僕はYMOのライブを生で見ていない。だから数多のチルドレンと同じく「YMOの通信教育」を受けて音楽やアートを学んだと思ってる。そんな自分が「YOU」直系の土曜の番組のMCを務めることになったのは、今思えばありがたいことだった。

 同じ枠とはいえ、言葉の人・糸井重里さんが軽妙に司会を務めた「YOU」と違って、「土曜ソリトンサイドB」は高野寛と緒川たまきというツッコミどころ満載の2MCが誰にもツッコまれないままお送りする蛇行運転で、ゆる~くスタートした。

 収録は毎回2週分、一週分4時間くらいはカメラを回していたように記憶している。その膨大な素材の中からいいところを編集して作られた番組だったからこその、あのクオリティだった。それにしてもあの頃の自分のトークのスキルのなさたるや、もし編集なしの生放送だったら、何度放送事故に見舞われたことか、と思う。ドラマと違って素の自分で居られるのは楽だったけれど、特に音楽以外のジャンルのゲストを招いた時に、音楽バカだった自分の浅さを思い知ることになる。

 思い返せば1995年は、ずっと過ごしてきた「音楽業界」という狭い世界から、急激に外の社会へ飛び出して行ったときだった。世の中の激変とシンクロするように、僕自身の仕事のありようも大きく変わってきていた。

 そんな、楽しくも手に汗握る現場にも少しずつ馴染んできた頃、番組史上最大のゲストを迎えてソリトンSide-Bは一つの転機を迎えることになる。

(続く)

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※矢野さんと細野さんゲストの回・ダイジェスト映像





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