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映画「トノバン」と幸宏さんの、6月

先日公開された映画「トノバン」。ミュージシャン/プロデューサー加藤和彦さんのドキュメンタリー伝記映画。エンディング曲の編曲と歌・演奏でこの映画に参加(出演)させていただいた。


加藤さんのキャリアは多岐に及ぶ。大学生の頃作ったフォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」は、自主制作でいきなりミリオンセラー。その後ソロアルバムを経て、サディスティック・ミカ・バンドでイギリスへ。万華鏡のような経歴は、とても一人の人物の変遷とは思えないほど多彩だ。


1964年生まれの僕は、まだ音楽的自我が目覚める前に「帰ってきたヨッパライ」を聴いて、ソラで歌えるほど印象に残っていた。家にレコードはなかったので、テレビで聴いただけで覚えてしまったんだと思う。コミックソングのようでもあったし、「みんなのうた」的な絵本のような歌詞だとも感じていた。


他にも70年代には、「家を作るなら」「あの素晴らしい愛をもう一度」(以下「あのすば」)「白い色は恋人の色」など、数々の加藤さん作品をテレビ越しにリアルタイムで聴いてきた。ただ、歌は覚えていたけれど、小学生だった自分には加藤和彦という存在は認識できていなかった。

高校入学の1980年にYMOの虜になり、やがてメンバーのソロワークスもたどる中で、高橋幸宏さんがかつて「サディスティック・ミカ・バンド」というバンドのドラマーだったと知る。やがて、そのミカ・バンドの加藤さんと70年代にテレビ越しに聴いてきた数々のヒット曲とが合致するようになった。YMOのメンバーが参加した「ヨーロッパ三部作」も聴いた。


加藤さんは数々の名曲を残し、2009年にこの世を去った。音楽ファンなら誰もが知る「ミュージシャンズ・ミュージシャン」だが、一般に広く知られているとは言い難い。代表曲のそれぞれが違うアーティスト名義で発表されていたり、それぞれの時期によってあまりに音楽性が変遷していくので、「ユーミン」「サザン」のような、一つのアーティストイメージで捉えきれないことが、その一因かもしれない。

’60〜70年代の日本の音楽の変化は、あまりにも激しかった。今のJ-POPは、限られた情報を頼りに、欧米(などの海外)のロックやポップスの手法を研究した先人たちが開拓した道の上にある。加藤さんはそんなパイオニアの一人だった。

加藤さんが亡くなったとき、関わったすべてのソロとバンドの作品を聴き返した。そのときは特に「スーパー・ガス」にハマった。寓話的な「ヨッパライ」のような歌詞は最近の曲にはほとんど見当たらないな、と感じて、「kurOFUne」という曲を作ったりした。「もしUFOが飛んできたら、地球は.…」という設定で、UFOを(鎖国していた日本に来襲した)黒船になぞらえている。ミカバンドの「黒船」ではなく、フォークル由来なのだ。

ちなみに映画「トノバン」では、ミカバンド「黒船」のコンセプトにも関わっている作詞家の松山猛さんが、「当時映画『未知との遭遇』が流行っていて、日本でUFOと同じくらいインパクトがあった事件は何だろう?と考えた時に、やはり黒船だろうと思い、あのタイトルを付けた」というエピソードを語っていた。



映画「トノバン」は、加藤さんと関わりのあった方々の証言を時系列で並べることで、加藤和彦という人物の実像を描き出そうとする。特に自分より下の世代、つまり、リアルタイムで加藤さんの’60〜70年代の音楽を追いかけて来れなかった世代にとって、あの時代の空気感を疑似体験できる、貴重な資料だと思う。ディレクターズカットでは6時間以上あったという映像は2時間にまとめられていて、多作なアーティストの半生を一気に振り返る。

初めて試写を観た時には、ぼやけていた点と点がつながって、さらに知らなかった驚きのエピソードもたくさんあって、心が踊った。映画に参加できたことを光栄に感じた。


映画「トノバン」は、高橋幸宏さんの一言から始まった。

前作『音響ハウス Melody-Go-Round』完成試写会の時に、高橋幸宏さんから何気無く「トノバン(加藤和彦)って、もう少し評価されても良いのじゃないかな?今だったら、僕も話すことが出来るけど」と言われたのが、加藤和彦さんに強く興味を持ったきっかけでした。
それから、加藤さんの事を調べれば調べる程、革新的な事や、新しいスタイルを産み出している事等々、音楽業界にいながら加藤さんの事を本当に知らなかった、と愕然となりました。
取材は約1年で50人に及び、素材もアーカイブを含むと100時間は下りません。当時のアーカイブは残っているものが少なく、権利関係も複雑で苦労しましたが、加藤和彦さんのことならば、と協力を申し出る方も多く、大変お世話になりました。
出資で参加していただいた企業は加藤和彦さんに関係した会社が多く、公開に併せてトリビュートライブや新譜のリリース等も予定しております。
関係各位に感謝するとともに、微力ながらこの映画が、加藤和彦さんの再評価につながればと思います。

相原裕美監督のプレスリリースより

エンディング曲のアレンジをしている時、幸宏さんは闘病中だった。録音に参加してもらうことは叶わなかったが、僕は幸宏さんの願いを音に込めようと、pupaの頃にもらっていた幸宏さんのバスドラムのサンプル音源をベーシックにうっすらと入れた。

残念ながら、幸宏さんは映画の完成よりも先に、2023年1月に天に召されてしまった。

映画の公開は2024年5月末に決まった。1週間後の6月6日、幸宏さんの回顧展が東京・代官山で開催された。年表にはもちろん、ミカバンドの結成・再結成・再々結成が克明に記されていた。

"YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION Everyday Life"

僕は1964年・最初の東京オリンピックの年に生まれ、1988年・昭和最後の年にデビューした。幸宏さんやトッド・ラングレンにプロデュースしてもらうことで一人前になれたと思っている。いつしか、上の世代と下の世代をつなぐポジションに位置していた。そして、お世話になった先輩と、お別れしなければいけない年齢になった。

映画を締めくくる「Team Tonoban」名義の「あのすば」は「歌い継ぐ」ことを目標に創られた。10代の学生〜70代のきたやまおさむさん、松山猛さんまで、数十名の人々が関わった大きなプロジェクトだ。参加できて、映画が公開できて、本当に良かった。

初日舞台挨拶より。左から松山猛さん、尾崎亜美さん、小原礼さん、高野寛、石川紅奈(soraya)さん、高田漣さん、相原裕美監督。



6月8日、翌日のイベントのために松山に入った。ちょうどその日から、松山の映画館で映画「トノバン」が封切られるタイミングだったので、急遽舞台挨拶をさせてもらった。

松山・シネルナティックにて


翌6月9日、愛媛県興居島で開催された「ごごしま音楽プール」というイベントに出た。共演は赤松隆一郎さんとコトリンゴさん。老若男女が集まるイベントなので、誰もが楽しめる曲を中心にしよう考えていた時、ふと「あのすば」を歌ってみようと思い立った。レコーディングでは部分的にしか歌っていなかったので、フルで歌ったのはこの時が初めて。やはり不朽の名曲、客席から自然と歌声が響いた。実は、歌いながら泣きそうになった。内緒だけど。


コトリンゴは映画「この世界の片隅に」のサントラを手掛けている。この日はその中からフォークルの「悲しくてやりきれない」のカヴァーも披露された。奇しくも、加藤さんの代表曲2曲が歌われるイベントになった。


そんなここ何日かの出来事の連続に、
ずっと何かに突き動かされているような気がしてならなかった。

加藤さん、幸宏さん、
僕らはもうしばらく、この地上で音楽を続けていきます。
バトンは、渡せそうです。
いつか、また。



【お知らせ】
加藤和彦さんのトリビュートコンサートに出演します。通好みの出演者陣、いいライブになるはず。

7/10(水)ロームシアター京都
7/15 (月祝)Bunkamuraオーチャードホール  

出演:小原礼/奥田民生/田島貴男/GLIM SPANKY/坂本美雨/高野寛/高田漣/白根賢一/伊賀航/ハタヤテツヤ and more....


*6/21追記
映画「トノバン」の監修者でもある音楽プロデューサー・牧村憲一さんとともに出演した「ポリタスTV」のアーカイブが公開されています。映画の話題を中心に、高橋幸宏さんやYMOのことなど、貴重なエピソードも交えたトークセッションです。


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