アルバム「確かな光」 と ベスト盤リリース/ ナタリー・ワイズ「raise hands high」 / MIYAZAWA-SICK アルゼンチン・ブラジルツアー (2004)
*2020.8.2. 加筆修正しました
*デビューから30周年の2018年のエピソードまでを振り返る自伝的エッセイです。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」をご購入いただくと、全ての記事(全42話・¥8400相当)を読むことが出来るのでおすすめです。
*2004年の出来事 : マーク・ザッカーバーグがFacebookを開設 / 自衛隊イラク派遣開始 / イラク日本人人質事件発生 / イラクで取材中の日本人フリージャーナリスト2名が殺害される / アテネオリンピック開幕 / スマトラ島沖地震が発生、22万人以上が死亡(日本人33人を含む) / オレオレ詐欺が多発 / 新潟県中越地震 / 新紙幣発行(1万円札が旧紙幣と同じく福澤諭吉、5千円札が樋口一葉、千円札が野口英世)/ ニンテンドーDSが日本で発売
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年が明けてすぐ、1/15には5年ぶり10枚目のソロアルバム「確かな光」がリリースされた。2000年以来バンド活動の合間に作り溜めた曲が豊富にあったので、濃い選曲ができた。そして数年間のセッションワークとバンド活動がいろいろな形で結実した、今も気に入っているアルバムの1枚だ。
サウンドプロデューサーとしてずっと他のアーティストの録音に立ち会い続けて、いつしかスタジオの左右のスピーカーの間に音が立体的な映像のように「見える」ようになった。テイクの良し悪しも直感的に迷わず判断できるようになって、そんなふうに客観性やサウンドプロデューサーとしての視点を持って自分のアルバムの制作に臨むことができたのは、この時が初めてだったと思う。
アルバムにはナタリー・ワイズのメンバーも重要なポジションでバックアップしてくれている。自分で書いた詞の「抜け」の悪さが納得できずに、BIKKEに全曲の詞を添削してもらって、細部を変えていった(クレジットは「補作詞」)。ちょっとした言葉選びで大きく印象は変わる。元々「リアルな光」と歌っていたのを「確かな光」という言葉に変えたのもBIKKEの案だった。歌詞はとても個人的で正解などないので、お互い気心知れた中じゃないと、こんな作業は頼めない。
アルバムは、今までのソロ曲と違う成り立ちのタイトル曲「確かな光」から始まる。最初から最後までずっと同じ8小節のコード進行がループしていく構成、中盤の(ラップのように)16分音符で畳み掛けるメロディ。静謐なサウンド。そんなミニマリズムは、ナタリー・ワイズの雰囲気にも通じる。
それまでのアルバムがほぼ例外なく軽快な曲から始まっていたのに対して、アルバム「確かな光」はゆっくり、ゆっくり静けさを破っていく構成だ。それはまるで20世紀の終わりから続いたソロ作品の沈黙を少しずつ、少しずつ破るかのように。
このアルバム「確かな光」は、発売後ひょんなきっかけからブラジルのプロデューサー/ベーシストのカシンの手に渡り、その縁が2014年のアルバム「TRIO」のブラジル録音に繋がっていくのだが、その話はまた追って。
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9月1日には通算3枚目のベスト盤『相変わらずさ~Best Songs 1988-2004~』が発売された。ジャケットの写真は、1989年に「CUE」の録音で訪れたニューヨーク州・ウッドストックのゲストハウスで自分で撮った写真。その他ブックレットには様々な時期の様々な場所の写真が使われている。意図せず、撮り続けてきた(デジカメ以前の)フィルム写真の作品集にもなった。
発売に際して親しい友だちからコメントをもらった。15年振りに読み返すと、とても感慨深い。
90年代以降、高野君が日本のポップスにおよぼした影響は計り知れない。近い将来その評価が当たり前のこととして日本のポップス史の中で語られることだろう。 宮沢和史(THE BOOM)
音楽を創る者にとって“自分の音楽”とは、自らのコアを外界へ表現する媒介であり、自分自身の鏡であり、また、自身や世界を知る旅でもあります。十代の前半、僕はそのことを理解できていませんでした。きっと、自分自身を知らなさ過ぎたのでしょう。
そんな頃に買ったシングルが「ベステンダンク」でした。“叫ばずにいられない”と綴られたその曲の詞から、僕は“高野寛”という人が抱えるコアの感情を受け取ることができました。
それを境に、僕もたくさんの“曲”という名の“手紙”を書き、そしてその“手紙”たちは、僕がデビューするにあたって、実際に高野さんと出会うことができたのです。初めて会ったのに、まるで“会話”をし終えたような不思議な感覚。僕がそれを感じられるようになるまでの長い間、ずっと待ち続けてくれたのは「ベステンダンク」という“音楽”でした。
今度は僕が言う番です。高野さん、ありがとう。 中村一義
正直、高野さんが居たから、今の自分がここに居るのだと思う。
僕にとって大切な『サヨナラCOLOR』って曲は高野さんがあの時プロデュースしてくれなかったら僕は作品にしてたかどうか本当にわからないから……。こんなこと書くと照れくさそうに「コメント、サ・サンキュ」なんて言うんだろうなぁ。 ハナレグミ(永積タカシ)
沖縄を皮切りに、ベスト盤発売記念ツアーも始まった。
9月29日(水) 那覇・四月の水 ※with CINEMA dub Monks
10月15日(金) 大阪・バナナホール ※band
10月22日(金) 仙台・retro Back Page ※acoustic
10月24日(日) 東京・SHIBUYA-AX ※band
10月30日(土) 福岡・博多百年蔵 ※acoustic
11月2日(火) 名古屋・ell.FITS ALL ※acoustic
東京・大阪公演バンドメンバー
vocal, guitar 高野寛
bass 鈴木正人(little creatures)
keyboards 斉藤哲也(Nathalie Wise)
drums 沢田周一(SUPER BUTTER DOG)
chorus 有里知花
このツアーにはひとつだけ、悔しい思い出がある。リハーサルの途中で気分が悪くなって、仙台公演を当日にキャンセルしてしまった。現在までのキャリアでライブを体調不良でキャンセルしたのはこの一度きり、痛恨の極みだった。30代の終わりに差し掛かって、それまでと同じように過ごしていたら体を壊す年齢になった。誕生日の日記でもそのことに触れている。
2004.12.14(火)
40になった。凄いなあ、と思った。他人事のような感想だけど、実感として。 「40」の響きは「責任取れよ」と聞こえる。いつからか、実年齢と精神年齢がずれっぱなしだ。しかし、 同世代の皆さんは痛感してると思うけど、カラダは、何もしなければただ衰えてく。鍛えよう。 ふりかえるのは好きじゃないが、 30の頃は『Sorrow & Smile』つくって、ソリトンside-Bに出たりしてた。弾き語りでワンステージなんて、まだ無理だった。 そろそろあれから10年。みんな同じように時間が過ぎていくのです。 ここまでの人生がこれだけのスピードで過ぎたことを思えば、これからの残りが有限だってことは、身にしみてわかる。やりたいことはまだまだたくさんある。あっと驚き、ぐっとくる、ずっと古くならない作品をつくりたい。梅の開花と、つくしやふきのとうが芽吹いたニュースをきいた。動物も植物もそりゃ混乱した、今年の師走。 東京にやっと寒い風が吹き始めた。12月生まれなのに実は、寒いのは嫌いだ。だけど、今年ばかりは、なんだかほっとする。
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9/2には、ナタリー・ワイズの3rdアルバム「raise hands high」がリリースされた。35分以上ノンストップですべての曲が繋がっている組曲形式。フィッシュマンズの「Long Season」へのオマージュでもある。クラムボンの3人がゲスト参加してくれている。
2005.7.7.(木)ふとおもったこと
作った時はまったく意識してなかったけれど、 iTunesに入れるとバラバラに砕け散ってしまうナタリーワイズの「raise hands high」というアルバムは、いずれCDの歴史の片隅に残る珍しい一枚になるかもしれないなあ、と。 昔、プリンスのアルバムで曲のIDがまったくなくて、頭から通して聴かないと最後まで聴けないアルバムがあった。 ナタリーの場合は逆に、ずっと繋がっている「組曲」を途中からも聴けるようにとIDを打ったのに、結果CDプレイヤーで聴かないと意味のないアルバムになってしまった。僕はいつも、時代と少しずれた作品を作って来ているような気がする。単に時代の流れがうまく読めないだけなのだが、でも、時代とずれることで時代と関係ない(timelessな)作品を世に残せるようにも感じる。不器用だけれど、そうやっていくしかないと、ずっと思ってる。
*2021年、ずっと配信されていなかったこのアルバムが配信解禁となった。アルバム全体で1曲、というコンセプトを表現するために、1曲目に全曲が繋がったトラック、2曲目以降に分割されたトラックが収録されたイレギュラーな構成。
2004.10.11(月) 京都
ナタリーワイズ・ボロフェスタ出演 @京大西部講堂。西部講堂には20年近く前、大学時代のバンドで一度出たことがある。ほこりっぽさはその時と全く変わってなかった。もしこの建物が京都以外の街にあったとしたら、確実に取り壊されていたはず。空き時間、近所を散策。やけに日差しのまぶしい日だった。 鴨川と高野川の交わる三角州でバーベキューする家族連れや、水遊びする子供を逆光の中でぼんやり見ていた。幸福な休日だった。ナタリーはアルバムで描いた世界を、初めてライブで再構築できたと思う。このために曲を作ったんだ。
このアルバムでは、前作までバンドのアイデンティティでもあった「ドラムレス」の掟を破った。インディーズのミニアルバムから数えて3枚目、コンセプチュアルなトータルアルバムを作り上げて、バンドとしてやれることは一通りやりきったようにも感じた。
ナタリー・ワイズはアルバム発売記念のライブの後に、活動を休止する。
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