顕在意識と潜在意識
今週から、新しいアルバムの取材が始まる。
取材期間中、ミュージシャンはこんな質問を受ける。
「このアルバムのコンセプトは?」
「このタイトルに込めた想いは?」
すべての質問に答えが用意されているわけではない。
正直に答えるなら、
「いや、なんとなく思いついて」
「寝起きに浮かんじゃったんですよね」
「意味はないんです」
とはいえ、そのままだと面白いインタビューにならないので、少し盛ったり、手繰り寄せた記憶の断片をいくつか繋いで、インタビュアーが納得するような答えを探し出したりもする。
そして、取材期間中は繰り返し同じ質問に答え続けて、自分自身気づかないうちに、ある質問への定型の答えが出来上がっていって、それが作者の発言として記録に残る。
今回のアルバムの制作期間は、5年以上に及ぶ。
10年以上前のモチーフを使って膨らませた曲や、CDのみのボーナストラックには1992年に作った曲のセルフカヴァーもある。じゃあ「創作期間32年」かというとそうでもなくて、32年前のデッドストックをリメイクした、という表現が正しい。
僕はいつも曲や詞の断片を無数にストックしてあって、ここ20年ほどは、そんな「イメージの倉庫」から引っ張り出してきたかけらを元に、足したり、引いたり、操作して、作曲する、それが常だ。
えっと、何が言いたかったかというと、これからインタビューを受けて、いろんな説明が世の中に公開されるんだけれど、それは、必ずしも作品の真の姿を語っているわけでもないんじゃないか? とふと思ったのだ。
創作中、うまいことゾーンに入れたら「無」になれる。すると、顕在意識の知識や技術以上のアイデアやイメージが生まれることがある。普段はアクセスできない潜在意識から何かを引っ張り出して来ている瞬間なのかもしれない。
今回の新譜「Modern Vintage Future」には、特にそんな無意識から手繰り寄せた言葉や音が、今までのアルバム以上にたくさん詰まっている気がする。理由はいくつかあって、
・打ち込み中心で作った
・制作期間が長い(長過ぎる)
・締め切りを決めずに長い時間をかけて作った
・ライブでの再現性をまったく考えずに作った
気が向いたら、細かく掘り下げて書くかもしれない。
インタビューを受ける前の段階では、自分で作っておきながらも自分の預かり知らないうちに生まれてしまった何かが、言語化されないままに作品の中に詰められているのかもしれないな、とふと思ったので、そのことをメモしようと、夜が明ける頃、頭が冴える前に書き殴ったわけです。
以上、とりとめのないつぶやきだけど、noteの使い方としてはこれが正解なのかもしれない。もはや、SNSはつぶやくための場ではなくて、現実以上に社会を意識せざるを得ない公共の場になってしまったからね。パブリックでありながらプライベート、という今となっては貴重な古き良きインターネットが、かろうじてnoteには残されている気がする(2024年10月末現在)。
(とりとめもなく続く)