コンピューターとギター
Appleの新しいiPad Proのプレゼン動画が、主にクリエイターたちから顰蹙をかっている。
巨大なプレス機に載せられた、数々の楽器やメトロノームやレコードプレイヤーやアーケードゲームや色とりどりのペンキの缶やブロンズ像やボールに目玉のついたゲームのキャラクター?(絵文字かもしれない?)などなど。陽気な曲をBGMに、プレス機が音を立ててそれらを押しつぶしてゆく。ぺしゃんこになったプレス機を持ち上げると、そこには今までで一番薄いiPadが…
という動画。リンクは見つからなかったので貼らない。
30年以上、apple製品にいくら注ぎ込んだかわからないくらい愛用してきた。2020年に買ったMBP(インテル入ってる)が時々もっさりしてきているので、そろそろ換えねばと調べたものの、あまりの高騰に躊躇してたところにあの動画で、いろいろ考えてしまった。
コンピューターと同じくらいギターが好きだ。コンピューターは長持ちしても実用的には5年くらいで、古いものには骨董品としての価値しかない。でもギターはちゃんとしたものなら、直しながら一生使えるし、ヴィンテージになれば価値が上がる。
例の動画と同じタイミングで発表されたlogic proの新バージョンは、AIの付加機能が多数搭載されているとのこと。今まで幾つかのプラグインや翻訳で、AIにも随分助けられてはいるが、udioやsuno など音楽生成AIの急激な進化には、一抹の不安も感じる。
画像も動画も音楽も、「どこかで観たこと・聴いたことのある感じ」の作品ならいずれ、今以上に簡単に模倣できるようになってしまうはず。AI作の曲がヒットする未来も、そう遠くないのだろう。創作を諦めてしまう人もいれば、プロンプトを上手く操ってAIで創る人もいて、創作の定義が揺らいでくる。
きっとAppleのエンジニアたちには、Vision Proを着けてAIを駆使する未来を描いて、次なるプロダクトを開発しているのだろう。 僕はといえば、年々衰える視力に抗いながら、できるだけこのまま裸眼で生活できる肉体を保ちたい👓 だから、ディスプレイを見つめ続ける生活はできないのだ。
というわけで、あの動画を観て、Appleが未来のコンピューティングに託そうとしているビジョンは、手に馴染んだかつてのMACの理念とは、かなり違ってきているのかもしれないな、と感じた。穿った見方かもしれないが。
次のMACは、そこそこのスペックでいい、と思った。